詩篇37篇
僕らは自分の正義感や自分の理屈や自分のやり方で悪に立ち向かいたい、勝ちたい、決着をつけてやりたいと思います。…が、この世界を作られた神様が「さばいてはならない」(マタイ7.1)「悪に対して善で返しなさい」(ローマ12.21)「敵を愛し祝福しなさい」(ルカ6.27)と繰り返し、悪を行う者に腹を立てるな、とおっしゃいます。(1、8)正しい裁きや報復は神様が必ずしてくださるし、(ローマ12.19)悪者たちはまるで草のようにしおれ消えていくからです。(2、10、20)
(1節と2節)
1,悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。
2,彼らは草のようにたちまちしおれ青草のように枯れるのだから。
(7-10節)
7,主の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。
8,怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
9,悪を行う者は断ち切られ 主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。
10,もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない。
悪いことをされた時に僕らがすべきことは神様に信頼して相手に善を行い愛することです。なんと、「あなたを憎むものに」「敵に」です。(ルカ6.27)善を行うことは悪いことを容認したり放置したりすることにはなりません。神様が正しく裁きをなさることへの信頼の表れです。神様は放置する方ではなく、必ず正しくさばく方です。
(3節から6節)
3,主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。
4,主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
5,あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
6,主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。
でも、実際には忍耐が必要です。時間がかかることです。…ですが、それはやせ我慢ではなくて、希望です。神様が必ず悪を滅ぼしてしまうことへの信頼です。神様より前に先走って裁きをしたり、(1コリント4.5)人間的な怒りで行動しないようにと聖書は言います。(ヤコブ1.20)
(7-8節)
7,主の前に静まり耐え忍んで主を待て。その道が栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。
8,怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
大谷翔平は「イラっと来たら負けだと思っています」と答えています。イラつくと冷静さ失い精度が落ちるからです。的確な判断と動きのためにはイライラは敵です。同じように、僕らが怒りながら神様の御霊の言動をするのはムリです。御霊が僕らに与えてくだる愛と喜びと平安に対して、イライラは何も貢献しないどころかマイナスでしかないからです。
この怒りはどこから来ているのか、自分に聞けばすぐにわかります。大抵は不安から出るようです。神様を信頼できず、自分の対応で相手や状況をコントロールしたいと思うゆえ、僕らは不安になりイラつき、神様抜きで、自分の力と知恵だけで立ち向かい、勝ちたい、決着をつけてやりたい、と思います。そこに神様への信頼はありません。そんな僕らに神様が僕らにおっしゃることは明らかです。「怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。」(8)
怒りや不満はちゃんと神様に報告して手放しましょう。悪魔はイライラが大好物です。聖書は「怒っても、罪を犯してはなりません。(…中略…)悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と言います。(エペソ4:26-27)怒りはちゃんと神様に報告しましょう。怒りの原因である不安も神様に報告しましょう。不信仰も認めましょう。神様がちゃんと決着をつけてくださいます。「もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない。」と神様がおっしゃってます。大丈夫です。信頼しましょう!
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