詩篇38篇
落胆しているときに聞こえてくるのは、他の人からの非難の言葉だけでなく内側からも聞こえる自分を責める言葉です。一方で「この部分は私は悪くない」とも思いたいものです。ですが、他人の言葉も自分の言葉も正しい答えではありません。正しいのは神様からの答えです。「まことに主よあなたを私は待ち望んでいます。わが神主よあなたが私に答えてくださいます。」(15節)神様からの答え、これが正解です。
神様は僕らの全てをご存じです。背伸びしても言い訳してもごまかしても、聖なる神様の目には汚く醜い罪だらけです。神様の前でいくら化粧してもニオイ消しをしようとしても無駄です。ダビデは苦しみの中で、「私の傷は悪臭を放って腐り果てました。それは私の愚かさのためです。」と告白します。
(1節から8節)
1,主よあなたの激しい怒りで私を責めないでください。あなたの大いなる憤りで私を懲らしめないでください。
2,あなたの矢が私に突き刺さり御手が私に激しく下りました。
3,あなたの憤りのため私の肉には完全なところがなく私の罪のゆえ私の骨には健全なところがありません。
4,私の咎が頭を越えるほどになり重荷となって担いきれません。
5,私の傷は悪臭を放って腐り果てました。それは私の愚かさのためです。
6,私は身をかがめ深くうなだれ一日中嘆いて歩き回ります。
7,私の腰は火傷でおおい尽くされ私の肉にはどこにも完全なところがありません。
8,私は衰え果て砕き尽くされ心もだえてほえ叫んでいます。
自分も自分を責めますが、周りの人たちも自分を責めます。その攻撃も神様に報告しています。詩篇は祈りのお手本です。全部報告、連絡、相談です。
(11節から12節)
11,愛する者や私の友も私の病を避けて立ち近親の者でさえ遠く離れて立っています。
12,私のいのちを求める者は罠を仕掛け私のわざわいを願い求める者は私の破滅を告げ絶えず欺くことを語っています。
(19節から20節)
9,私の敵は活気に満ちて強く私を憎む偽り者が多くいます。
20,悪をもって善に報いる者どもは私が善を追い求めると私をなじります。
人から攻撃される時に気をつけるべきことはその言葉に振り回されたり、弁解したり、反論したりしないことです。「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず」です。(1ペテロ2.23)。ただ神様にそのまま報告し、神様からの答えを待つことです。僕らが言うべきことは、まずは自分の罪の告白です。
(13節から15節)
13,しかし私は聞きません。聞こえない人のように。口を開きません。話せない人のように。
14,まるで私は耳が聞こえず口で争わない人のようです。
15,まことに主よあなたを私は待ち望んでいます。わが神主よあなたが私に答えてくださいます。
(18節)
私は自分の咎を言い表します。自分の罪で不安なのです。
反応しすぎたり反芻しすぎたりするよりも、ただ示された罪を告白し、神様の答えを待つことが正解です。自分の罪に落胆し、ただ神様に降参する人は幸いです。心の貧しい人は幸いです。「神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。」です。(詩篇51.17)
(21節から22節)
21,主よ私を見捨てないでください。わが神よ私から遠く離れないでください。
22,急いで私を助けてください。主よ私の救いよ。
砕かれて自分の貧しさを認める人には必ず神様の助けがあります。神様の赦しとあわれみはなくなることがありません。十字架の血による赦しは完璧です。心貧しい者は幸いです。今日もイエス様の十字架による愛と恵みは注がれています。この赦しと憐れみが福音です。イエス様の恵みと赦しが全ての土台です。今日も自分には何もないことを認めましょうそして、神さまの十字架の赦しを感謝しましょう!ハレルヤ!
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