2024年2月23日金曜日

マタイ21.33-41

 マタイ21.33-41


お金も物も自分の思い通りにしたい、と思いがちですが、なんと僕らは人も自分のものとたいと思いがちです。学校のクラスにも暗黙の順列があって強い人が支配し気に入らない人は排除されがちです。恥ずかしい話ですが、教会でも同じようなことが起こったりします。


イエス様の時代の神殿でも同じことが起こっていました。律法学者、パリサイ人たちは神殿を自分のものとして支配し、それに逆らう者たちを排除しました。自分たちに断りなく勝手に教え、しかも民衆の支持を得ているイエス様は最も憎い邪魔な存在でした。



(23節)

それからイエスが宮に入って教えておられると、祭司長たちや民の長老たちがイエスのもとに来て言った。「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたにその権威を授けたのですか。」



彼らは口では「すべてのものは主のもの」と言いつつ、本音では神殿も礼拝「私たちのもの」です。神殿で起こっていたことは、今も世界規模で起こっていることです。人間はこの世界を自分のものだと主張し、支配し、自然も神も乗り越えようとしてきました。世界は神様が創造された良い世界です。権威と賛美は神様にあります。ところが人間はそれらを認めないどころか、逆に権威も賛美も感謝も愛も自分たちが受けようとします。その結果、神様と、神様から遣わされたしもべたち排除しようとしてきたのが現実です。


イエス様はそれを農園の主人と農夫たちに例えて教えてくださいました



(33節から36節)

33,もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。

34,収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたちを遣わした。

35,ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。

36,主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。



神様は本当に何度も預言者たちを遣わし、悔い改めて栄光と力を神様にささげるように言いました。今も同じです。しかし預言者たちは殺されてきました。日本でも従わないキリシタンたちは殺されてきました。人々は今日も変わらずにこの世を奪い支配しようとしています。


世界の王はイエス様です。イエス様は神の子としてこの世に来てくださいました。が、世はイエス様を認めることはなく、むしろ邪魔な存在として殺しました。



(37節から41節)

37,その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。

38,すると農夫たちは、その息子を見て、『あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう』と話し合った。

39,そして彼を捕らえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。



今日も栄光は神様のもの、賛美は神様のもの、力も権威も神様のものです。

イエス様は栄光と力を奪おうとするこの世界をさばくためにもう一度来られます。



(40節から41節)

40,ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」

41,彼らはイエスに言った。「その悪者どもを情け容赦なく滅ぼして、そのぶどう園を、収穫の時が来れば収穫を納める別の農夫たちに貸すでしょう。」



今日も御名だけがあがめられますように。御国が来ますように。すべての口が賛美と感謝を神様にお返ししますように。

世界は神様のものです。すべての人は神様のものです。栄光は神様のものです。栄光と力を自分のものとする人は滅ぼされ、やがて神様だけにすべての賛美ささげる人たちに栄光と祝福の国が与えられます。



(43節)

ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。



今日も、国と力と栄光は限りなく神様だけにありますように。

アーメン。






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