2024年2月20日火曜日

マタイ21.1-11

 マタイ21.1-11


聖書を信じる国はどうしてこんなに戦争をしたがるの? 宗教って結局戦争の原因じゃない? 聖書は戦争を教えているの? とか言われます。争いをしたがるのは人間であって神様ではありません。聖書そのものは平和を教えていて、神様は愛と平和の神だと何度も書かれています。



(ヤコブ4.1-2)

1,あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。

2,あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。



イエス様が地上に来られるよりもずっと前から旧約聖書はキリストが世界に平和を実現することを預言しています。その時には軍馬も戦車も不要になると書かれています。



(ゼカリヤ書 9章10節)

わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶えさせる。戦いの弓も絶たれる。彼は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大河から地の果てに至る。



そして、平和を実現させるキリストが登場するときの姿も書かれていて、それは荷物を運ぶロバに乗って登場する姿です。上記のすぐ前、ゼカリヤ書9章9節にその様子が書かれていて、その姿の通りにイエス様は子ロバに乗ってエルサレムに入場されました。



(マタイ21.1)

1,さて、一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来たそのとき、イエスはこう言って、二人の弟子を遣わされた。

2,「向こうの村へ行きなさい。そうすればすぐに、ろばがつながれていて、一緒に子ろばがいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。

3,もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれます。」

4,このことが起こったのは、預言者を通して語られたことが成就するためであった。

5,「娘シオンに言え。『見よ、あなたの王があなたのところに来る。柔和な方で、ろばに乗って。荷ろばの子である、子ろばに乗って。』」

6,そこで弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、

7,ろばと子ろばを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。そこでイエスはその上に座られた。



平和の王キリストが登場する特徴はへりくだった姿です。イエス様が軍馬でなく荷物を運ぶ小ロバで登場したことは平和の象徴です。そして、すべての軍事力を不要なものとする預言が実現するプロセスです。イエス様が乗ったのは軽トラックか、荷台の大きな自転車のイメージです。やがてイエス様が世界を支配する日には全ての武器や軍備品が農機具に変わり、戦争教育は不要になることが預言されています。



イザヤ書 2章4節

主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。



現実を見るならこの世界で、一体どうやって争いをなくすのか?と思います。平等な対話、公平な福祉や待遇、平等な労働環境も大事だけども、もっと大事なのは、敵への復讐、憎しみ、怒りなど、殺し合いの原因となる僕らの心の罪をイエス・キリストが全部引き受けてくださることです。イエス様のへりくだりとは、徹底して人の下になることです。イエス様は人々の罵りを受け、憎しみを受け、神様の裁きと呪いを受けて殺される側になってくださいました。


イエス様の教えは「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。」(マタイ5.39)「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」です。(マタイ5.44)これは人間には無理です。ところが世界の支配者である王キリストがまずそのようにしてくださいました。僕らの中にある怒りや憎しみを全部引き受けて、心も体も傷つき殺されながら僕らを赦し、祈り、祝福してくださいました。


「復讐はわたしのすることである。」と神様は言われます。(ローマ12.19)最終的には神の裁きと怒り、そして正しい報復が下されます。でも、その前にイエス様はその神と怒りと裁きを身代わりに受け、僕らに「友よ。あなたの罪は赦されました。」(ルカ5.20)と宣言し、十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23.34)と祈ってくださいました。聖書は、あの十字架の処刑ゆえに、あなたはもう神様との平和を持っている、と何度も書いています。次に、あなたは赦されたから、あなたの重荷、憎しみなど私に委ねなさい、あなたが赦されたように互いに赦しなさい、と教えます。


一瞬で世界を滅ぼすことができる神様が、すべての人の罪を背負って捨てられる側になってくださいました。これが王であるイエス・キリストです。


信じた僕らはこのイエス様の御霊が与えられています。それでイエス様と一緒に、敵を愛し、赦すことができるようになります。力によらない愛と平和への道はこの御霊によって始まります。御霊の実は愛、喜び、平安です。愛は人の悪を思いません。(ガラテヤ5.22、1コリ13.5)


最後にはイエス様が完全な平和を実現します。クリスチャンは先に平和を実現する一歩を踏み出した人です。今日もイエス様と一緒に自分を捨てて敵を赦し、愛し、祈りましょう。イエス様こそ柔和な方、へりくだった方、そして、全てを捨てて愛し回復させて下さる王様です。その霊が僕らにも注がれています。(ローマ5.5)愛と赦しと平和は今日も与えられます。ハレルヤ!



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