出エジプト16.13-21
神様を知らない人は、見えるもので安心しようとします。その中でもお金で安心しようとする人は多いようです。一方聖書は、神様に頼るように繰り返します。イエス様は「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」と神様に求めるように教えてくださいました。(マタイ6.11)日ごとの糧とは、今日必要なお金、力、健康、愛、知恵など、必要なもの全てです。イエス様が教えて下さる祈りは必ず聞かれます。必要なものは毎日ちょうどよく与えられます。心配したり貪ったりして「自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。」とイエス様は言われます。(マタイ6.17)神様がこれからも与えると約束してくださってるのに溜めこもうとするのは、神様への疑いやむさぼりです。そのことの実例としてイスラエル人たちに神様が毎日パンが与えてくださったこと聖書に書かれています
(13節から18節)
13,すると、その夕方、うずらが飛んで来て宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周り一面に露が降りた。
14,その一面の露が消えると、見よ、荒野の面には薄く細かいもの、地に降りた霜のような細かいものがあった。
15,イスラエルの子らはこれを見て、「これは何だろう」と言い合った。それが何なのかを知らなかったからであった。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として下さったパンだ。
16,主が命じられたことはこうだ。『自分の食べる分に応じて、一人当たり一オメルずつ、それを集めよ。自分の天幕にいる人数に応じて、それを取れ。』」
17,そこで、イスラエルの子らはそのとおりにした。ある者はたくさん、ある者は少しだけ集めた。
18,彼らが、何オメルあるかそれを量ってみると、たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった。自分が食べる分に応じて集めたのである。
朝ごとにパンが与えられ、しかもそれはちょうど良い分量でした。ところが心配して明日の分までとっておこうとした人がいたようです。ところがそのパンは消費期限が1日だけで、虫が沸き臭くなりました。
(19節から21節)
19,モーセは彼らに言った。「だれも、それを朝まで残しておいてはならない。」
20,しかし、彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝までその一部を残しておいた。すると、それに虫がわき、臭くなった。モーセは彼らに向かって怒った。
21,彼らは朝ごとに、各自が食べる分量を集め、日が高くなると、それは溶けた。
毎日与えらえたパンはイエス様が毎日僕らに与えてくださるいのちや愛や恵みを表しています。神様のことばや聖霊の満たしとも言えます。僕らが生きているのではありません。イエス様が毎日新しくいのちを与えてくださっています。
(ヨハネの福音書 6章33~35節)
神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」
(…中略…)「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
毎日ちょうど良く与えられています。イスラエル人たちが毎日集めたように、僕らも与えられる神様のことばや愛や恵みや力の今日の分を集めて、分けあって食べる必要があります。食べるのは僕らの側がすることです。「明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。」(マタイ6.34)めぐみは今日の分だけで十分です。今日も求めて、もらって、分あって食べましょう。とっておく必要はありません。毎日ちょうど良く与えられます。ハレルヤ!
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