出エジプト37章
神様とお会いする会見の天幕を作る時、それは自分の好きなデザインとか形ではなく、神様がデザインし、神様が与えた寸法に従って全てを作るように命じられていました。神様は何度も「わたしがあなたに示す型と全く同じように造らなければならない。」とおっしゃいます。(25章9節、22節、40節、26章30節など多数)「よく注意して、山であなたに示された型どおりに」と強調されています。そして37章では神様おっしゃった通りにきっちり作ったことが書かれています。神様の願い通りのものになりました。幕屋が完成した時、聖書は「主がモーセに命じられたとおりである」と何度も何度も繰り返します。(40章16節. 19節、21節、23節、25節、27節、29節、32節)
神様の願い通りの天幕が出来ました。そこは神様との交わりの場所であり、神様の住まいです。そこに神様は現れ、人が神様とお会いし、神様のことばが与えられます。そこは神様のご臨在と栄光が満ちる場所となります。
(40章34節から35節)
34,そのとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。
35,モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。
今も神様の願いは、神様の思い通りの家を作ることです。新約聖書の時代は僕らの体も心も神様の天幕です。(1コリント6.19など)そして教会も神様の天幕です。
(エペソ2.21-22)
この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
神様の栄光が表される天幕は僕ら自身ですが、主のご臨在とご栄光が表されるにあたって大事なことは、僕らが自分を捨て、自分のデザインや好きな形を手放し、自分の計画とか計算ではなく、神様の御言葉の通りに自分を明け渡し、作り替えていただくことです。神様の願い通りの私になり、教会になることです。神様の栄光は自分を手放して従う時に明らかになります。
神様が作りなさいとおっしゃった会見の天幕は天国のコピーです。(ヘブル8.5)僕らも天国の栄光を表すためには神様のおっしゃった通りの形になる必要があります。
自分の形にこだわったり、なりたい私にこだわるなら、そこに神様の栄光はありません。あなたはすでにキリスト共に葬られたのです、と聖書は繰り返します。(コロサイ2.12など多数)今生きているのはキリストが生きておられるのです。(ガラテヤ2.19-20)僕らの体も心も人生も計画も計算も全てイエス様の思われる通りに明け渡しましょう。(ローマ12.1)神様の栄光は僕らの中に表されます。ハレルヤ!
(ローマ人への手紙 12章1節)
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
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