2024年6月30日日曜日

1サムエル14.1-30

1サムエル14.1-30


 神様は何度も「恐れてはならない」「心配してはならない」とおっしゃいます。その理由は神様が「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と言ってくださるからです。(ヘブル13.5)だから僕らは確信を持って「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」と言うことができます。ヨナタンはこの確信があるので、恐れることなく敵陣にたった2人だけで乗り込んで行きました。



(6節)

ヨナタンは道具持ちの若者に言った。「さあ、この無割礼の者どもの先陣のところへ渡って行こう。おそらく、主がわれわれに味方してくださるだろう。多くの人によっても、少しの人によっても、主がお救いになるのを妨げるものは何もない。」



反対に、恐れに駆り立て、ビクビクして判断し動くその結果は悲惨です。「コワイから動く」ことは変な行動を生み出します。冷静に考えるならばペリシテ人の方が優勢なのですが、神様は「恐れ」を使って敵を攻撃します。彼らは恐れたゆえに同志打ちを始めて自滅します。



(15節)

そして陣営にも野にも、すべての兵のうちに恐れが起こった。先陣の者、略奪隊さえ恐れおののいた。地は震え、非常な恐れとなった。


(20節)

サウルと、彼とともにいた兵がみな集まって戦場に行くと、そこでは剣をもって同士討ちをしていて、非常に大きな混乱が起こっていた。



反対に、神様が一緒にいてくださり、勝利させてくださる確信は自由と力を生み出します。ビクビクしている人よりも安心している人のパフォーマンスの方が遥かに優れています。今までペリシテ人を恐れてペリシテ人側についていた兵士たちも、怖くて山地に隠れていたすべてのイスラエル人もペリシテ人が逃げたと聞いて、戦いに加わりました。神様が一緒にいてくださり勝利させてくださることは夢とか言い聞かせることではなく、霊的な現実です。



(21-23節)

それまでペリシテ人について、彼らと一緒に陣営に上って来ていたヘブル人も転じて、サウルとヨナタンとともにいるイスラエル人の側につくようになった。

また、エフライムの山地に隠れていたすべてのイスラエル人も、ペリシテ人が逃げたと聞いて、戦いに加わってペリシテ人に追い迫った。

その日、主はイスラエルを救われた。



神様が勝利を与えて下さったのですが、イスラエルの兵士たちはサウル王の言葉を恐れていました。恐れは変な行動を生みます。



(24-26節)

さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。

この地はどこでも、森に入って行くと、地面に蜜があった。

兵たちが森に入ると、なんと、蜜が滴っていたが、だれも手に付けて口に入れる者はいなかった。兵たちは誓いを恐れていたのである。



ヨナタンは自由でした。彼が恐れるのはただ一人だけ、神様だけです。僕らもヨナタンと同じように、神様以外を恐れる必要はありません。


(29-30)

29,ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。

30,もしも今日、兵たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」



イエス様は「真理はあなたがたを自由にします。」とおっしゃいます。(ヨハネ8.32)キリストが一緒にいてくださることの喜びと自由は、このヨナタンのように、主に喜ばれることを確信して行うことができるという自由です。僕らにも同じように自由が与えられています。今日も人を恐れず、状況を恐れず、ただ、神様だけを恐れ、聞き、従いましょう。そこには自由があり、喜びがあり、愛があり、勝利があります。神様は何度も「恐れてはならない」「心配してはならない」とおっしゃいます。その理由は神様が「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」と言ってくださるからです。(ヘブル13.5)ハレルヤ!

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