2024年7月1日月曜日

1サムエル14.36-46

 1サムエル14.36-46


聖書は僕らに謙遜であるように教えます。しかも、聖書が教える謙遜さは僕らが思うレベルではなく、自分を死んだ者と思って完全に明け渡すことです。イエス様はおっしゃいます。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」(マタイの福音書16章24~25節)この実例がヨナタンです。普通、僕らは自分を生かそうとするし、自分を守ろうとします。でも、ヨナタンは逆です。そしてイエス様は真逆です。自分を捨てて十字架の処刑まで従い、そのようにして僕ら愛してくださいました。


ヨナタンは神様に対して全幅の信頼を置いていたし、神様に自分の命を預けていました。強い軍隊にたった2人で乗り込んで行って勝利します。(14.6)神様に自分を明け渡すことは、彼が地上の権威者に対しても自分を捨てて服従する態度に表れています。聖書は基本的に地上の権力者に従うように教えています。たとえそれが変な権力者であっても、です。



(ペテロの手紙 第一 2章13~16)

人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、

あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。

自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。



ヨナタンにとっての地上の権威者は王様であり父であるサウルでした。そして、サウルの命令は間違ってる不本意なものでした。(29節) それでもヨナタンは父の命令に従います。自分を捨てて神様に全てを預ける事は、地上の権威者に従うこととつながっていました。王はこの戦いに勝利するまで何も食べてはならない、と命令していましたが、ヨナタンはそれを知らずに蜜を食べました。



(27-28)

しかし、ヨナタンは、父が兵たちに誓わせたことを聞いていなかった。彼は手にあった杖の先を伸ばして、蜜蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。

兵の一人がそれを見て言った。「あなたの父上は、兵たちに堅く誓わせて、『今日、食物を食べる者はのろわれる』とおっしゃいました。それで兵たちは疲れているのです。」



王はヨナタンに死刑を宣告します。



(43-44)

サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に話しなさい。」ヨナタンは彼に話した。「確かに、手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を口にしました。この私が死ななければなりません。」

サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」



王様の考えは自分と違ったし、ヨナタンはその命令を知りませんでした。それでも、彼は自分を捨てて従います。神様に自分を明け渡すことと王様に自分を明け渡すことは、ヨナタンにとっては同じでした。彼は自分を捨てて「この私が死ななければなりません。」と言います。(43)


自分を捨てることは、それで終わりにはなりません。

イエス様は言われます。「自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」(マタイ16.25)イエス様はこの通りに十字架の処刑に従って自分を捨てましたが、復活され、全ての栄光と権威を持っておられます。僕らも自分を捨てて明け渡すことは、惨めな死で終わりません。神様に喜ばれ、神様から高くあげられます。聖書は「あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」と言います。(1ペテロ5.6)


ヨナタンは自分を捨てて父である王サウルに従いました。でもそれで終わりません。民は王に反論してヨナタンを救います。


(45節)

民はサウルに言った。「この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。


自分を捨てることは、それで終わりにはなりません。神様がちょうど良い時に高く上げてくださいます。今日も互いに相手を自分より優れた人と思って従いましょう。(ピリピ2.3)自分を捨てて神様を愛し、人を愛する時に、それで終わることはありません。ハレルヤ!







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