2024年6月18日火曜日

1サムエル3章

 1サムエル3章


「空気を読む」とは相手のして欲しいことを憶測して判断することです。僕らはそのような社会に生きています。無意識のうちに相手がイヤなことは言わないようにしていると思います。預言者に選ばれた少年サムエルは、初めて神様からエリの家についての裁きの言葉を聞いたとき、それを伝えるのを恐れました。それは「エリの家の咎は…赦されない」という衝撃的な内容だからです。



(12-15)

12,その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。

13,わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。

14,だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」

15,サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。



裁きの言葉を聞いた人はショックを受ける、と神様は言われました。聖書はそれを「両耳が鳴る」と表現します。衝撃のあまり、その言葉が耳の中でこだますると言う意味です。



(11節)

主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。



誰でも、良い知らせを伝えるのは嬉しいのですが、滅びや死を伝えるのは悲しいし、躊躇します。それでもエリは少年サムエルに隠さないように言います。



(16節から17節)

16,エリはサムエルを呼んで言った。「わが子サムエルよ。」サムエルは「はい、ここにおります」と言った。

17,エリは言った。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」



僕らの勝手な判断で神様の言葉に付け足してはいけないし、減らしてもいけないと神様が警告しています。「私があなたがたに命じることばにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。」(申命記 4章2節)

神様のことばを聞く時も同じです。僕らは自分に都合の良い情報だけを聞きたいと思うし、「自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め」たがります。(2テモテ4.3)ですが、神様のことばの前ではへりくだって何でも聞く必要があります。エリは少年サムエルにアドバイスしました。



(9-10節)

9,それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。

10,主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。



「しもべは聞いております」とは「あなたが言われることは、何でも聞きます」という姿勢です。聞きたいことと、聞きたくないことを選ぶのではなく、主が言われることならば何でも聞いて従います、ということです。そして、神様の言葉は必ず実現します。

今日も神様のみことばを選んだりせず、しもべとして、へりくだって聞きましょう。そして、人に伝える時も、ご機嫌取りのような話し方ではなく、しもべとしてそのものを伝えましょう。

空気を読んで本当の救いを伝えない方が残酷です。本当の愛は神様の怒りと裁きをちゃんと伝え、そして、なおかつそこから救ってくださるイエスキリストの十字架による赦しの福音を伝えることです。僕らが神様の愛と真実に満たされて、恐れないで、安心して周りの人と関わることができますように。本当の愛は真実を伝えることと両立すると信じます。



(コリント人への手紙 第二 2章16~17節)

私たちは、多くの人たちのように、神のことばに混ぜ物をして売ったりせず、誠実な者として、また神から遣わされた者として、神の御前でキリストにあって語るのです。


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