2024年6月18日火曜日

1サムエル2.12-36

 1サムエル2.12-36


宗教を使って人々から搾取したり、指導者が信者と性的な関係を持つ事件を聞くことがあります。実は自分の欲のためにやっている恥ずかしい実例は聖書にも記録されています。


祭司エリの息子たちはカタチだけ祭司になりました。が、「主を知らなかった。」と書いてあります。(12)彼らは自分の目の欲、肉の欲の言いなりです。彼らは礼拝を利用して人々から搾取します。



(12-17)

12,さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、主を知らなかった。

13,民に関わる祭司の定めについてもそうであった。だれかが、いけにえを献げていると、まだ肉を煮ている間に、祭司の子弟が三又の肉刺しを手にしてやって来て、

14,これを大鍋や、釜、大釜、鍋に突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。このようなことが、シロで、そこに来るイスラエルのすべての人に対してなされていた。

15,そのうえ、脂肪が焼かれる前に祭司の子弟がやって来て、いけにえを献げる人に「祭司に焼くための肉を渡しなさい。祭司は煮た肉をあなたから受け取らない。生の肉だけだ」と言うので、

16,人が「まず脂肪をすっかり焼いて、好きなだけお取りください」と言うと、祭司の子弟は、「いや、今渡すのだ。でなければ、私は力ずくで取る」と言った。

17,このように、子弟たちの罪は、主の前で非常に大きかった。この人たちは主へのささげ物を侮ったのである。



彼らが強奪したものは本来は神様のものでした。さらに、彼らは礼拝奉仕をする女性たちと性的な関係を持ちました。それは神様に仕える女性を奪うことです。また夫から盗むことでもあります。



(22)

さて、エリはたいへん年をとっていたが、息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終を、それに彼らが会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていることを聞いていた。



罪は「主の前で非常に大きかった。」とあります。(17)神様は彼らの父親である祭司エリに裁きを宣言されます。神様を軽んじる人に神様は正しく報復されます。



(29-34)

29,なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。

30,それゆえ──イスラエルの神、主のことば──あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今や──主のことば──それは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。

31,見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはあなたの腕と、あなたの父の家の腕を切り落とす。あなたの家には年長者がいなくなる。

32,イスラエルが幸せにされるどんなときにも、あなたはわたしの住まいの衰退を見るようになる。あなたの家には、いつまでも、年長者がいない。

33,わたしは、あなたのために、わたしの祭壇から一人の人を断ち切らないでおく。そのことはあなたの目を衰えさせ、あなたのたましいをやつれさせる。あなたの家に生まれてくる者はみな、人の手によって死ぬ。

34,あなたの二人の息子、ホフニとピネハスの身に降りかかることが、あなたへのしるしである。二人とも同じ日に死ぬ。



神様のものを奪う罪は実は僕らにも身近です。僕らのからだは神様のものであり、神様に喜ばれるいけにえです。僕らのからだを肉欲につかうことは神様が愛する宝を奪うことです。



(ローマ人への手紙 12章1節)

あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。



そしてまた、祈りや賛美や善を行うことも神様に喜ばれるささげものです。



(ヘブル人への手紙 13章15~16節)

それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。



祭司エリの息子たちは、神様のものを自分の欲のために使っていました。神様は「わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられる」とおっしゃいます。(30)僕らのからだも、いのちも、富も栄光も全部神様のものです。それは神様の心と僕らの心やからだが一つとなることです。神様が求めておられるのは「わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司」です。(35)イエス様を信じた人はみんな祭司です。(ペテロの手紙 第一 2章5節)賛美は主のものです。祈りも主のものです。自分を神様に明け渡しましょう。主に喜ばれる、全てを神様に明け渡し一つの心とされた忠実な祭司となれますように。





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