ガラテヤ5.16-26
最初、神様がお作りになった世界は全てが満たされる世界でした。ところが、人間は神様に逆らい、別れ、独立しました。その時から人はいつも欠乏感を持っています。自分の力で愛されたい、満足したいとがんばります。満たされたくて、幸せになりたくて、喜びたくて、何かを求めてさまよっています。
(19節)
肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色
(21節)
ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。
愛のない性行為を繰り返して満たされようとし、楽しいことを探しまわり、酒で満たされようとします。それは破滅的な、制御不能の世界です。「喜びで満たしてくださる」(使徒2.28)「必要をすべて満たしてくださる」(ピリピ4.19)神様を知らないので、霊的なものを求めて宗教にハマったりします。自分より幸せそうな人を見ると、妬み、怒り、嫌います。そして自己嫌悪にも陥ります。
(20)
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
すべての問題の原因は神様から離れていることです。良いものは神様から与えられます。神様に受け入れられて愛されている人は安心します。すでに認められ喜ばれているので、マウントを取ろうとする必要がありません。良く見せなくても、もう十分に愛されているからです。
御霊とは神様ご自身です。御霊によって歩みなさい、と聖書は言います。その時に肉の欲望を満たすことはなくなります。満たされるために戦う必要もなくなります。
(16節)
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
自己満足のための「肉のわざ」と御霊の働きは水と油です。共存することはできません。
(17-18)
肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
御霊はまるで果樹園に果物が実るかのように、僕らの人生に良いものが現れるようにしてくれます。
(22節から23節)
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
御霊を求めましょう。自分で満たそうとしなくても大丈夫です。欲望に振り回される必要も、人生を強引に進める必要もなくなります。イエス様を信じたとき、そんな自分はイエス様と一緒に死にました。今日も肉の自分は死んでると思いましょう。今生きているのは御霊によって新しくなった自分です。死んだはずの肉のわざをまた復活させる必要はありません。
(24-25節)
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。
私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。
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