2024年8月29日木曜日

2サムエル24章

 2サムエル24章


ある牧師から聞きました。第二次世界大戦中、戦場で1番怖かったことは、敵の大砲ではなく、戦車でもマシンガンでもなかったそうです。一番の恐怖は無線機だそうです。敵が近づいたときに、無線機で空軍を呼ばれるのが1番の恐怖だったそうです。当時の最強の武器は無線機、敵が恐れるのも無線機だったそうです。


同じように、今も僕らが天の神様に祈ることこそが最強の武器です。そして敵である悪魔が恐れるのも祈りです。神様が祈りを聞いて下さると悪魔は勝つことができないからです。聖書は「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。」(エペソ6.11)と言い、その最後には「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」と言います。(エペソ6.18)祈りこそ最強の武具です。


ダビデ王がイスラエルを治めるめることができた理由は100%神様のおかげです。ダビデ王に力を知恵と判断力を与えているのは神様です。ところが、国が安定すると、ダビデは軍事力を求めはじめ、そのために人口調査をさせます。これは「サタンがイスラエルに向かって立ち上がり、イスラエルの人口を数えるように、ダビデをそそのかした。」と解説されています。(歴代誌 第一21章1節)その結果、この国は神様の怒りを受けることになりました。軍の長ヨアブは神様に目を向けてこの政策に反対し「主が、この民を百倍にも増やしてくださいます」といいますが、ダビデは調査を強行させます。



(サムエル記 第二 24章1~4節)

さて、再び主の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、ダビデをそそのかして、彼らに向かわせた。「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ」と。

王はともにいた軍の長ヨアブに言った。「さあ、ダンからベエル・シェバに至るまでのイスラエルの全部族の間を行き巡り、民を登録し、私に民の数を知らせよ。」

ヨアブは王に言った。「あなたの神、主が、この民を百倍にも増やしてくださいますように。わが主、王の目が、親しくこれをご覧になりますように。ところで、わが主、王は、なぜこのようなことを望まれるのですか。」

しかし、ヨアブと軍の高官たちへの王のことばは激しかった。ヨアブと軍の高官たちは、イスラエルの民を登録するために王の前から出て行った。



この政策は「神の目に悪しきこと」でした。(歴代誌 第一21章7節)ダビデは後でこの愚かさに気がついて罪を認めて祈ります。



(サムエル記 第二 24章10節)

ダビデは、民を数えた後で、良心のとがめを感じた。ダビデは主に言った。「私は、このようなことをして、大きな罪を犯しました。主よ、今、このしもべの咎を取り去ってください。私は本当に愚かなことをしました。」



神様を忘れて地上の力や栄光を求めることはちっぽけで虚しく、神様を悲しませ、主の怒りをもたらすものです。

反対に、優先して神様を求め、愛し、神様との交わりを求めることは、天の全ての富と力を共有することです。天の喜びが地上にも注がれて必要なものは全て与えられます。イエス様は言われます。



(マタイの福音書31から33節)

ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。(…中略…)まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。



神様をないがしろにしたことで、ダビデは罪の刈り取りすることになりました。結果として多くの人が病気で死んでいきました。ダビデはもう一度悔い改めて自分を捧げて神様に礼拝します。アラウナも、自分の仕事道具も財産も全部手放して、神様に祈り礼拝したいと思いました。



(サムエル記 第二 24章22~23節)

アラウナはダビデに言った。「わが主、王よ。お気に召す物を取って、お献げください。ご覧ください。ここに全焼のささげ物のための牛がいます。薪にできる打穀機や牛の用具もあります。

王よ、このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、主が、あなたを受け入れてくださいますように。」



牛の用具や脱穀機を手放すことは、人間から見ると今後仕事ができなくなり、収入がなくなることです。それでも、神様の裁きによってこの国の多くの人が死んでいく緊急時に神様こそが全てだと思わされました。神様を礼拝するならそれでいいしそうしたい、と彼は思わされました。


ダビデも同じです。自分のために軍事力を求めたことを悔い改め、神様を愛し求めるために自分を捧げ、十分な費用を払ってささげ物をしたい、と願いました。その時に事態は変わります。「主が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった。」とあります。(25)



(24-25)

しかし王はアラウナに言った。「いや、私は代金を払って、あなたから買いたい。費用もかけずに、私の神、主に全焼のささげ物を献げたくはない。」そしてダビデは、打ち場と牛を銀五十シェケルで買った。

ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。主が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった。



神様は祈りを聞き、心を動かしてくださいます。神様は僕らの人生のレールをもう決めているのではありません。もう運命が決まっているのではありません。人生は神様との生きている愛の交わりです。祈りは神様との関係を強め、天の喜びと祝福をこの地にもたらすための方法です。神様はダビデやアラウナ悔い改めと祈り、そして献身によって、もう一度この地を癒してくださいました


祈りこそ、私たちの最大の優先事項です。祈りこそが祝福の鍵です。神様との交わりがすべての源です。祈りましょう。人の力ではなく、この世の力や知恵でもなく、全てを与えてくださる神様を優先しましょう。その時に必要全ては与えられます。神様は心を動かし、呪いを祝福に変えてくださる方です。運命が決まっているのではありません。今日も祈りを最優先にしましょう。主が心を動かしてくださいます。ハレルヤ!

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