イザヤ11-12章 イエス様が王となる世界
就職試験で「5年先はあなたはどのような生活をしていますか」という質問が定番だそうです。
みなさんなんて答えますか?10年先は何をしていると思いますか?20年後はどうですか?
今日、イエス様に触れられ、イエス様の御霊を求め、イエス様の霊によって回復し始めた人は、10年後、さらに喜びと感謝が増えています。たとえ世界が暗くなり破滅に向かっていても、その人の内側にも希望と喜びがなくなりません。
でも、もしイエス様を受け入れず、求めないなら、ただ年老いて弱くなるばかりです。世界が暗くなるのに連動して不安や妬みや悲しみだけが増えていきます。
癒やされようとして、食べたり、飲んだり、遊んだりしてみても、一時的です。
今日のメッセージは神様が僕らに希望を与え、喜びを与えてくださる、もうすでに与えてくださっている、というメッセージです。
受け取ってくださり、世界がますます暗く滅びに向かっていても、個人的に死に向かっていても喜びと希望がなくならない人生を歩んでほしいし、そうなると信じてメッセージをします。
●回復のための破壊
人間は必ず一度弱くなって死にます。その後で復活して完全な体に変えられて神様とお会いします。
完全な回復や栄光を手にする前に、人は一度死ななければなりません。1コリント15章はそれを種が地面にまかれて、体を失ってから新しい体に発芽するのと同じようだと説明しています。同じように、僕らも一度死にますが、その後で完全な栄光の体、霊の体、イエス様に似た姿に復活します。
また、それと同じようにこの世界も一度神様によって破壊されてから新しくされるようです。
イスラエルはこの当時偶像礼拝をし、神様を軽んじ、淫らなことをするようになって、その結果、国は滅ぼされていきます。10章33節には「主が恐ろしい勢いで枝を切り払われる。丈の高いものは切り倒され、そびえたものは低くなる。」とあります。外国に攻撃されて、何もかも無くなったように見える国になりました。
そして、11章は、その切り株から、全てが終わったように見える景色からの再出発からです。どん底からのやり直しです。
(1)
エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
なぜ神様はイザヤを通してこのメッセージを与えたと思いますか?
想像してください。この当時、イスラエルは外国に攻撃されどんどん暗くなっていく時代です。
国としても個人としてもお先真っ暗、どこにも助けがないように見えるそういう時代です。
僕らも毎日悲しいニュースを見聞きしていて、そのことがリアルに起きつつあることを知っています。
イザヤの預言はその当時の歴史を言い当てた預言でした。そして同時に僕らがこれから経験する預言です。ヒズボラとイスラエルの戦争の話を聞いて僕らは悲しくなります。ロシアとウクライナの戦争もそうです。ミャンマーのクーデターや水害も悲しみ、能登半島の地震に追い討ちをかけるような豪雨災害を僕らはどうしてですか?と思います。
当時もそうでした。そのような時代に、イザヤは希望があることを預言しました。イエス様も僕らに次のように言われます。
(マタイ24.6-8)
6,また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
7,民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。
8,しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。(…中略…)
13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
「最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」何の希望もなければ落ち込むだけです。けれども、その先に希望がある時には忍耐ができます。忍耐とは、ただの我慢じゃなくて、希望を持ってこのトンネルを進むことです。
神様はイザヤを通して預言します。裁きが来ます。あなたの国は滅ぼされます。でも、その先に全く新しい回復が始まります。
神様の回復っていうのはリフォームではなくて、建て替えです。全部更地にして全く何もなかったかのように全てを破壊してから新しいものを作るのが神様です。人が一度完全に死んでから新しい体に復活するのと同じです。
そのように世界は終わりに向かっていきます。個人的にも死に向かっています。けれども、それは裁きの次の回復のためのプロセスです。10章も裁き、13章も裁きです。裁きの間に挟まれて、11、12章だけ、裁きの後に起こる復活の希望を見せてくださっています。
(12章1節)
その日、あなたは言う。「主よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです。」
そういう日が来ます。
(4-6節)
4,その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、もろもろの民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。
5,主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを全地に知らせよ。
6,シオンに住む者よ。大声をあげて喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる大いなる方。」
1節「その日、あなたは言う。」4節「その日、あなたは言う。」と繰り返します。
必ず喜んで賛美し、歌い、神様は私の救いとなられた、と大声で喜び歌い、知らせる日がくる、必ずあなたは言う、そうなる、と言います。
●完全な喜びの世界
もう一度イエス様が来られたときの世界は完璧です。
(11章13節)
エフライムのねたみは去り、ユダに敵する者は断ち切られる。エフライムはユダをねたまず、ユダもエフライムを敵としない。
エフライムというのはイスラエルの部族の名前です。ユダもそうです。同じイスラエル人でありながら、妬み、憎み、国は分裂し、戦争状態でした。
人を攻撃する理由は、それは自分が満たされていないから、不安だからです。でも、イエス様がもう一度こられた時には、恐れは消え不安も消えます。妬みも不要になります。全てが満たされているからです。
恐れる人には特徴があります。自分を支え、自分を守り、自分を愛してくれる存在がないことです。だから自分でなんとかしなければ、自分で乗り越えなければならない、と思います。怖いから頑張ります。怖いから攻撃します。
反対に恐れない人には特徴があります。その人は神様から愛され認められ、受け入れられていることを知っている人です。神様の愛を知り、神様が一緒にいてくれることがわかり、それを感謝して喜んでいる人です。
イエス様がこの世界にもう一度こられた時には、妬みは消え、完全な平和が実現します。
なんと動物たちでさえ平和になります。
(イザヤ書 11章6~9節)
狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。
雌牛と熊は草をはみ、その子たちはともに伏し、獅子も牛のように藁を食う。
乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子は、まむしの巣に手を伸ばす。
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。
全てが安心の中にいて、動物でさえ傷つけあうことをやめます。もちろん、人間も妬みあったり攻撃しあったりする必要がなくなります。
動物も人間も人間同士も平和が来ます。それはイエス様がこの世界を愛と知恵で支配してくださるからです。そのことを9節はまとめています。
(9)
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼさない。主を知ることが、海をおおう水のように地に満ちるからである。
世界はイエス様の王国となります。世界中の国は存続しながらも戦争がなくなり、人々は総理に求めるのではなくイエス様の知恵と力を求めてエルサレムのに行きます。それが10節です。
(イザヤ書 11章10節)
その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。
このことはイザヤ2章でも言われています。
世界中の人たちが神様の御心を聞きたい神様の言葉を聞きたいとエルサレムにやってくることがわかります。今までは自分たちの判断、自分たちの善悪の知識で争っていました。でもその時には神様を知ることが世界を満たします。もう国と国が争う必要がありませんません。
●すでに始まっている私たち
この神の国が私たちの中にもう始まっています。
小学校の時にみんなで踊ったフォークダンス「マイムマイム」はイザヤ書12章3節から作られた曲です。マイム=水、ベッサンソン=喜びながら、です。あの曲は「水、水、水、水、水、喜びながら!」です。
(イザヤ書 12章3節)
あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。
この喜びの水は単なる水ではなく「救いの泉」です。イエス様はこのことを「聖書が言っているとおり」とおっしゃって、この水を飲む人は完全に満たされ、喜び、賛美することを説明してくださいました。この水を飲むことはイエス様を信じることです。そして、この水とは御霊です。
(ヨハネ7.37-39)
37さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
39イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。
イエス様を信じることは御霊に満たされることです。この水、御霊を飲む人は感謝に満たされます。
(1-3)
1,その日、あなたは言う。「主よ、感謝します。あなたは私に怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださったからです。」
2,見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない。ヤハ、主は私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。
3,あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。
御霊の水を飲む人は必ず感謝と賛美をする人になります。必ずです。「その日、あなたは(感謝や賛美を)言う」と聖書は断言しています。(1節、4節)やがてイエス様が地上に来られた時、世界が御霊に満たされる日が来ます。その日は多くの人たちが感謝し賛美します。僕らは先にこの御霊を与えられ、喜びと救いを世界中に歌いながら伝える人です。
この御霊、神様の愛の泉を知らない人は、何かで満たされたいともがきます。ある人は結婚すれば、愛されれば幸せになる、求めていました。
※実例です。
ある人は幸せを求めて結婚しました。でも、うまくいかなくなって残念だけど離婚しました。選んだ相手を間違った、と思います。次の人はきっといい人だと思って結婚しますが、やっぱり違ったようです。見る目がなかった、と思ったし、さすがに私も2回失敗したので、人を見る目が養われて、次はうまくいくと思って3回目の結婚しましたが、やっぱり理想の人ではありませんでした。どの人も自分を満たしてくれません。4回目も、5回目の結婚もダメでした。
イエス様が出会ったサマリアの女は5人と結婚して離婚し、今6人目と同棲中です。
彼女にイエス様は言いました。
(ヨハネ4章13-14節)
13イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。
14しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
神様で満たされ、神様に愛され、神様に認められ、承認され、御霊による満足と喜びで満たされる、その日が来る、とイエス様はおっしゃったし、もう来ています。イエス様を信じることは、この水で満たされていくことです。
(3-6)
3,あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。
4,その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、もろもろの民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。
5,主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを全地に知らせよ。
6,シオンに住む者よ。大声をあげて喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる大いなる方。」
世界中が主の霊に満たされる日は、人間だけでなくなんと自然界全部が生き返る日です。さっきは動物と人間が、ライオンと子どもが、コブラと赤ちゃんが遊ぶ日が来る、と預言していましたが、イエス様が与えてくださる泉から流れ出る水に触れるものは全てが癒されていきます。
(エゼキエル47.9-12)
9この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。(…中略…)
12川のほとりには、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。」
※「リバーワーシップスクール」という名前
最初、川?さんび学校?ん?変な名前?と思いました。
でも、これは御霊です。命の水です。イエス様を信じることは、内側から命の水が流れ出し、人に満たされるのではなく、神様に満たされ、癒やされ感謝する、そのように川の流れが内側から溢れ出すとイエス様がおっしゃっています。賛美は御霊によって与えられるものです。
しかも、将来イエス様がもう一度こられた時には本当に世界の川が、海が、すべての自然が回復します。
その日には賛美が世界に満ち溢れます。多分、テレビもネットも歌番組は全部賛美になります。スポティファイもティックトックも全部賛美になります。
そこには喜びと楽しみが満ちています。つまらない音楽はひとつもありません。つまらない人間関係はひとつもありません。つまらない仕事もありません。全てが神様によって与えられた喜びに変わります。
今、クリスチャンたちはイエス様がこの世界に来られるよりも先に、すでにそれを体験しています。僕らから出るはずのない喜びや感謝が聖霊によって与えられています。
喜びのない人は、この御霊の水を受けていても、この世の幸せで満たそうともしている人です。
(イザヤ書 12章3節)
あなたがたは喜びながら水を汲む。救いの泉から。
一リットルの容量なら、神様が与えてくださる喜びの水、御霊を一リットル満タンにするのが理想だし、やがてそうなる日が来ます。皆さんは今どのくらい御霊に満たされていますか?半分ですか?後の半分は何で埋めようとしてるでしょうか?
イエス様の願いは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」です。「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロニケ5.16-18)
イエス様は信じたけど、他で癒やされようとする人は多いようです。イエス様よりもマッチングアプリで喜びや幸せを得ようとする人もいるようです。
こないだ、HBIで、週に1時間日曜に礼拝したら、一週間のうちの何%か?って考えました。
一週間24時間が7日で168時間です。そのうちの1時間だけが礼拝の時間だとしたら、0.6パーセントです。もし、週に1時間だけが礼拝なら、人生の99パーセントは他のことを考えているなら、なんと勿体無い、と思います。イエスさまは、絶えず祈りなさい、全てのこと感謝しなさい、っておっしゃっています。御霊に満たされることは、感謝と喜びと愛と平安に満たされることです。
神様がクリスチャンに先に与えようとしてくださってる本当の喜びを受け損ねているなら勿体無いです。妬む必要はなくなるし、心配し恐れる必要もなくなります。
聖霊によらなければ、誰も賛美も祈りもせきません。イエス様を告白することができません。しかし、その方が来ると僕らは力を受け、地の果てまで喜んでこの救いを告げ知らせます。
喜びながら水を汲む日はもう来ています。受け取るか受け取らないかはあなた次第です。求めるかどうかです。
イエス様がもう一度来られたら世界は賛美で満たされます。でも、クリスチャンは今からその喜びと賛美が用意されています。あとは、求めて受け取るだです。
さっきの質問です。10年先は何をしていると思いますか?20年後はどうですか?
今日、イエス様に触れられ、イエス様の御霊を求め、イエス様の霊によって回復し始めた人は、10年後、さらに喜びと感謝が増えています。たとえ世界が暗くなり破滅に向かっていても、その人の内側にも希望と喜びがなくなりません。
でも、もしイエス様を受け入れず、イエス様のくださる御霊を受け入れないなら、求めないなら、ただ年老いて弱くなるばかりです。心の中には妬みと恨みと悲しみだけが増えていきます。
癒やされようとして、食べたり、飲んだり、遊んだりしてみても、一時的です。
まず、自分の心を明け渡して、御霊を求めましょう。世界が暗くなっても、周りが暗くなっても体が衰えても、喜びながら水を汲み、内側は新しくされ続けていく、そのような人生でありましょう。明け渡しましょう。消えていくもの、天国に不要なもの、余計なものは手放しましょう。
天国に持っていけないものはなんですか?
御霊の喜びで満たされないようにしている、心の中のゴミはなんですか?
手放し、御霊を求めましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿