イザヤ19章
痛みがひどくなければ病院に行かないように、僕らは苦しみがなければ神様を求めないようです。それまでは自分の方法や力でなんとかしようとしがちです。でも、僕ら人間はもともと神様と生きるように作られています。神様はエジプト人に苦しみを与えることを預言していますが、それはただ懲らしめるためでなく、彼らが悔い改めて神様に癒され、しかも祝福するためです。
(20節から22節)
彼らが虐げられて主に叫ぶと、主は彼らのために戦い、彼らを救い出す救い主を送られる。
そのようにして主はエジプト人にご自分を示し、その日、エジプト人は主を知る。そしていけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。
主はエジプト人を打ち、打って彼らを癒やされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らを癒やされる。
試練は苦しいけれども必要なことです。神様は試練を通して、僕らをきよくし、癒し、祝福しようと願っておられます。試練の先に神様が次のように言われることが書かれています。
(25)
万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手で造ったアッシリア、わたしのゆずりの民イスラエルに祝福があるように。」
(1ペテロ1章6節-7節)
今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、
試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。
偶像礼拝するエジプトに神様は多くの苦しみを与えました。1つは内部分裂です。「わたしはエジプト人を駆り立てて、エジプト人にはむかわせる。彼らは、兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と争い合う。エジプトの霊はその中で衰える。」とあります。(2節から3節) それでも彼らは神様に戻ることなく、彼らは偽りの神々や死霊、霊媒や口寄せに伺いを立てました。(3節)
2つ目は、恐ろしい支配者(4節) 、3つ目は恐ろしい自然災害(5節から9節)、そして、4つ目はリーダーたちに「混乱の霊を吹き入れられ」「酔いどれが吐きながらよろめくように」国が混乱し弱くなっていくことです。(11節から14節)
苦しみは僕らが神様に戻るためです。神様は愛する人の浮気や二股を許さない方です。試練は神様の癒しと祝福のためです。神様から離れていることに気づかせ、悔い改めて祝福されるための神様の方法です。
放蕩息子はすべてのお金を失い、食べ物がなくなってやっと実家に戻り「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。」と謝りました。そんな息子をお父さんは走りよって受け入れて、愛し、祝福します。(ルカ15.11-24)
苦しい時、他の方法を考える前に、まず神様のところに行きましょう。祈り、求め、手放すべきことが示されたら手放しましょう。神様は僕らを癒し、祝福したいと願っておられます。
0 件のコメント:
コメントを投稿