イザヤ13章
初めて聖書を読んだころ、ふわっとした神様のイメージが変わっていったのを覚えています。
神様が国を滅ぼし尽くすところがたくさんあって「神様って怖い」って思いました。神様が聖書を通して僕らに伝えていることは、優しいだけのユルい神様ではなく、リアルに世界を裁く神様です。だから「たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10.28)というのがイエス様からのメッセージです。
人が人を殺してはならないと神様は言われます。(出エジプト20.13、創世記9.6など多数)人を裁き、殺す権威があるのはは神様だけです。人の怒りや裁きは正しくないし、先走った裁きをしてはならない、と言われています。(1コリント4.5、ヤコブ1.20)でも、神様だけは正しく罪と悪に対して復讐し、滅ぼす神様です。人間同士の愚かな戦争さえ用いて歴史を動かし、神様の正しい裁きをなさいます。神様が戦争を通して国を滅ぼすことはありますが、だからといって戦争に勝った国が正しかったとはいえません。
バビロンという国はメディア人たちに滅ぼされました。それは神様の裁きでした。「万軍の主が軍隊を召集しておられる」(4)「全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器」(5)「それは全能者からの破壊としてやって来る」(6)バビロンが滅ぼされたのは歴史上の事実です。同時に「バビロン」は、黙示録では神様に敵対する存在のことを言っています。彼らは滅亡します。イザヤの預言はその時代に実現した預言でもあり、同時に将来イエス様が完全にこの世界を滅ぼす、という未来の預言です。やがてイエス様によって全ての悪は滅ぼされます
(イザヤ書 13章11節)
わたしは、世界をその悪のゆえに罰し、悪しき者をその咎のゆえに罰する。不遜な者の誇りをくじき、横暴な者の高ぶりを低くする。
(4-9節)
4,おびただしい民にも似た、山々のとどろく音、集まって来る国々、王国のどよめく音がする。万軍の主が軍隊を召集しておられるのだ。
5,彼らは遠い地から、天の果てからやって来る。全世界を滅ぼすための、主とその憤りの器だ。
6,泣き叫べ。主の日は近い。それは全能者からの破壊としてやって来る。
7,それゆえ、すべての者は気力を失い、すべての人の心は萎える。
8,彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、苦しみと激しい痛みが彼らを襲う。彼らは炎のような顔で互いに驚く。
9,「見よ、主の日が来る。憤りと燃える怒りの、残酷な日が。地は荒廃に帰し、主は罪人どもをそこから根絶やしにする。
メディア軍はバビロンの人びとを殺し、子どもも若者も胎児もあわれまずに徹底的に皆殺しにしました。しかも、それをさせたのは神様だと聖書は言います。
(17-19)
17,見よ、わたしは彼らに対してメディア人を奮い立たせる。彼らは銀をものともせず、金さえ喜ばず、
18,その弓は若者たちを撃ち倒す。彼らは胎の実さえあわれまず、子どもたちにさえあわれみをかけない。
19,こうして、諸王国の誉れ、カルデア人の輝かしい誇りであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる。
子どもたちも赤ちゃんも皆殺しにされるのをを読んで、神様、赦してくれないんですか、と言いたくなる箇所です。聖書の答えは、この世界の作者である神様だけがこの世界を破壊することができることです。陶器師は気に入らない器を壊し、作り替えることができます。(エレミヤ18.4)罪と暴虐と淫行に満ちた世界は神様にとっては破棄すべき器です。ソドム、ゴモラとは、好色と肉欲にふけった町です。彼らは神様に滅ぼされました。(ユダ1.7)それと同じように、「バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる。」とあります(19)この箇所はバビロンが滅ぼされる預言でありながら、全世界を裁く僕らの時代への神様からの警告でもあります。
(6-11)
6,泣き叫べ。主の日は近い。それは全能者からの破壊としてやって来る。
7,それゆえ、すべての者は気力を失い、すべての人の心は萎える。
8,彼らはおじ惑い、子を産む女が身もだえするように、苦しみと激しい痛みが彼らを襲う。彼らは炎のような顔で互いに驚く。
9,「見よ、主の日が来る。憤りと燃える怒りの、残酷な日が。地は荒廃に帰し、主は罪人どもをそこから根絶やしにする。
10,天の星、天のオリオン座はその光を放たず、太陽は日の出から暗く、月もその光を放たない。
11,わたしは、世界をその悪のゆえに罰し、悪しき者をその咎のゆえに罰する。不遜な者の誇りをくじき、横暴な者の高ぶりを低くする。
この世の終わりには太陽も月も消えていくようです。イエス様はこのイザヤの預言を念頭に置きつつ、世の終わりについて「その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。」とおっしゃいます。(マルコ13.24-26)
この世界で儲かっても、豪華な家や町を建てても、神様の前に裁かれるならその廃墟は惨めなだけです。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ16.26)
(19-22)
19,こうして、諸王国の誉れ、カルデア人の輝かしい誇りであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる。
20,そこには永久に住む者もなく、代々にわたり、住みつく者もない。アラビア人もそこには天幕を張らず、牧者たちもそこに群れを伏させない。
21,そこには荒野の獣が伏し、彼らの家々には、みみずくがあふれる。そこには、だちょうも住み、雄やぎがそこで飛び跳ねる。
22,山犬はその砦で、ジャッカルは豪華な宮殿でほえ交わす。その時が来るのは近く、その日はもう延ばされることはない。」
神様の裁きを受けて滅ぼされた相手は2つです。
一つは神様を恐れず従わず信じない世界。そしてもう一つはイエス様です。
神様は怒りを受けて捨てられ殺される代表として、イエス様をこの世に遣わされました。イエス様は神様からの怒りを受け、神に捨てられ殺されました。イエス様を信じてつながることは、一緒に神様の怒りを受け、完全に殺され、捨てられたと見なされることです。それを表すのがバプテスマです。僕は神様の怒りを受け捨てられたイエス様と一つになった、という意味です。そして、復活して生きておられる聖なる聖なる聖なるイエス様と一つになった、という意味です。
神様の願いは僕らが救われることです。
(テサロニケ人への手紙第一 5章9節)
神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。
主の怒りと裁きはあります。
でも、救いもあります。
神様は忍耐して待っておられます。
(2ペテロ3:9)
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
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