イザヤ49章
闇の先には光があります。破壊の先には再建があります。飢餓の先にはには満足があります。
なんでそんなことが言えるのか?それは神様がハッキリとそう約束してくれているからです。
問題は僕らが神様のことばを信じるかどうかです。「わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」(イザヤ書49章23節)「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」(ローマ10章11節)神様のことばは単なる教えではなく、事実だし出来事となることばです。
僕らは悪い想像は得意なようです。若いカップルが幸せな将来をイメージするように、神様との素晴らしい未来をイメージすることはすごく大切です。それは現実となる真理のことばだからです。この当時のイスラエルは、神様に背き懲らしめを受け崩壊していく時代でした。周りを見るなら悲惨だし、どこにも希望がないように見えます。それでも、神様は彼らを見捨ててはいません。
イスラエルは確かに神様に背き、崩壊し捕囚とされていきます。でも、神様は回復を約束し、将来の映像を具体的に見せてくれています。
(イザヤ書 49章15~20節)
「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。
見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。
あなたの子どもたちは急いでやって来る。あなたを破壊し、廃墟とした者たちは、あなたのところから出て行く。
目を上げて、あたりを見回せ。彼らはみな集まって、あなたのところに来る。わたしは生きている──主のことば──。あなたは必ず、彼らをみな飾り物として身に着け、花嫁のように彼らを帯に結ぶ。
あなたの廃墟と荒れ跡と滅びた地は、今に、住むには狭すぎるようになり、あなたを吞み込んだ者たちは遠くへ離れ去る。
あなたが子を失った後に生まれた子らが、再びあなたの耳に言う。『この場所は私には狭すぎる。私が住めるように場所を広くしてください』と。
人は現状だけを見ますが、神様は完成された世界を見ておられれます。エルサレムの城壁は壊されますが、神様は「あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」とおっしゃいます。
回復は100%神様の力です。人間にはありえないことです。回復した時、誰がこんなに人を増やし、育ててくれたのかと言います。答えは100%神様です。
(イザヤ書 49章21~23節)
そのとき、あなたは心の中で言うだろう。『だれが私に、この者たちを産んでくれたのだろう。私は子に死なれた女、子を産めない女、捕囚のさすらい人であったのに。だれがこの者たちを育てたのだろう。私は、ただひとり残されていたのに、この者たちはどこから来たのだろう。』」
神である主はこう言われる。「見よ。わたしは国々に向かって手を上げ、わたしの旗を諸国の民に向かって揚げる。彼らは、あなたの息子たちを懐に抱いて来る。あなたの娘たちは肩に担がれて来る。
王たちはあなたの世話をする者となり、王妃たちはあなたの乳母となる。彼らは顔を地に付けて、あなたを伏し拝み、あなたの足のちりをなめる。あなたは、わたしが主であることを知る。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」
だれも奪われたものを取り戻すことができないし、囚われた人を救い出すことができません。でも神様は完全にそれをなさいます。そして神様の敵は滅びます。
(イザヤ書 49章24~25節)
"奪われた物を勇士から取り戻せるだろうか。捕らわれ人を横暴な者から救い出せるだろうか。
まことに、主はこう言われる。「捕らわれ人は勇士から取り戻され、奪われた物も横暴な者から奪い返される。あなたが争う者と、このわたしが争い、あなたの子らを、このわたしが救う。"
忍耐はやせガマンではなく、神様との将来像をイメージして希望を持つことです。神様の言葉にとどまる人は、希望にとどまる人です。その人は病気も災いも地球の終わりも恐れません。
その人はまるで神様の翼の下に住んでいるようです。神様の真実なことばが盾であり砦です。世界が滅び苦しんでいく時の安全な隠れ家のようだと聖書は言います。
(詩篇 91篇1~9節)
いと高き方の隠れ場に住む者その人は全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。「私の避け所私の砦私が信頼する私の神」と。
主こそ狩人の罠から破滅をもたらす疫病からあなたを救い出される。
主はご自分の羽であなたをおおいあなたはその翼の下に身を避ける。主の真実は大盾また砦。
あなたは恐れない。夜襲の恐怖も昼に飛び来る矢も。
暗闇に忍び寄る疫病も真昼に荒らす滅びをも。
千人があなたの傍らに万人があなたの右に倒れてもそれはあなたには近づかない。
あなたはただそれを目にし悪者への報いを見るだけである。
それはわが避け所主をいと高き方をあなたが自分の住まいとしたからである。
神様が回復させてくださる世界をイメージすることは信仰です。多くの人々が喜び歌っています。僕らは今からそれを喜び、期待し、感謝し、賛美する者たちです。
(9-13節)
わたしは捕らわれ人には『出よ』と言い、闇の中にいる者には『姿を現せ』と言う。彼らは道すがら羊を飼い、裸の丘のいたるところが彼らの牧場となる。
彼らは飢えず、渇かず、炎熱も太陽も彼らを打たない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、湧き出る水のほとりに連れて行くからだ。
わたしは、わたしの山々をすべて道とし、わたしの大路を高くする。
見よ。ある者は遠くから来る。見よ。ある者は北から西から、また、ある者はシニムの地から来る。」
天よ、喜びの声をあげよ。地よ、小躍りせよ。山々よ、歓喜の声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからだ。
闇の先には光があります。破壊の先には再建があります。飢餓の先にはには満足があります。それは神様がハッキリと約束してくれているからです。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿