1列王21.17-29
ガミガミ言う上司と違って、神様は僕らの心の奥の奥まで知った上で必要な言葉を与えてくれます。「たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分ける」のが神様のことばです。(ヘブル4.12)自分でもわからない心の奥が神様の前にはさらけ出されています。その上で、神様のみことばは僕らを内側からきよめます。まるで、見えない排水溝の奥のほうさえキレイにされるかのようにです。
アハブ王はナボテを殺して彼の畑を奪おうとしました。これは神様の前に見過ごせない罪です。神様はいきなり怒りと罰を与えてきよめるのではなく、まずは罪を暴き、警告し、悔い改めるチャンスを与えてくれます。神様は預言者エリヤを通してアハブに伝えます。
"そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。
「さあ、サマリアにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。
彼にこう言え。『主はこう言われる。あなたは人殺しをしたうえに、奪い取ったのか。』また、彼に言え。『主はこう言われる。犬たちがナボテの血をなめた、その場所で、その犬たちがあなたの血をなめる。』」
アハブがエリヤに「おまえは私を見つけたのか、わが敵よ」と言うと、エリヤは答えた。「そうだ。あなたが主の目に悪であることを行うことに身を任せたので、見つけたのだ。
『今わたしは、あなたにわざわいをもたらす。わたしはあなたの子孫を除き去り、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまで絶ち滅ぼし、
あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バアシャの家のようにする。それは、あなたが引き起こしたわたしの怒りのゆえであり、あなたがイスラエルに罪を犯させたためだ。』"
列王記 第一 21章17~22節
いきなりは滅ぼしません。まずは罪を明らかにし、裁きがあることを教えてくれます。アハブには良心があったようです。ナボテを殺して畑を奪うことに、「これはまずいぞ」と思ったようです。彼はそんな自分の良心を振り切って悪女イゼベルに従うことを決めました。聖書は彼のことを「自らを裏切って主の目に悪であることを行った者」と言います。
"アハブのように、自らを裏切って主の目に悪であることを行った者は、だれもいなかった。彼の妻イゼベルが彼をそそのかしたのである。"
列王記 第一 21章25節
どんな人にも神様の語りかけがあり、良心があります。人間には「律法の命じる行いが自分の心に記されている」と聖書は言います。(ローマ2.15)だから、僕らはいつも葛藤し「心の思いは互いに責め合ったり」するのです。(ローマ2.15)神様の語りかけを無視することもできます。選ぶのは自分です。
神様に従うときには平安と喜びがあります。しかし罪に従うときにはモヤっとします。平安も喜びもありません。アハブはエリヤから裁きのメッセージを受け、罪を認め、悲しみました。罪を悲しむことはきよめられるためにはどうしても必要な通過点です。神様はアハブのへりくだりを見て、裁きを猶予してくれました。
"アハブはこれらのことばを聞くとすぐ、自分の外套を裂き、身に粗布をまとって断食をした。彼は粗布をまとって伏し、打ちひしがれて歩いた。
そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。
「あなたは、アハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間はわざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」"
列王記 第一 21章27~29節
今日も神様は自分では気が付かない奥の汚れもきよめようとして下さっています。神様の前では全てがさらけ出されています。誰かを通して耳の痛い話をしてくれるのは僕らを美しくするためです。今日も神様の言葉を聞きましょう。自分も知らない奥のほうも明らかにしてもらいましょう。自分で自分を裏切っていることはありませんか?神様の憐れみはまだなくなっていません。
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