エレミヤ39.15-18
王様の側近の偉い人たちがみんなエレミヤを憎んで井戸に落として殺そうとしている最中に、彼を助けるなんて無謀です。自分が殺されるかもしれません。ところが無名の外国人エベデ・メイクは死を覚悟の上で王様に直訴します。彼にそんなことができたのは、神様を信頼したからです。(18)
神様への信頼は恐れを消します。それは人を恐れない自由さに現れます。信仰はとは「神様に信頼して従うこと」です。信仰は神様に寄りかかって、全体重を預けているようです。「信じてます」と口で言っても本心は信頼できてない人は怖くて動けないし動きません。その信仰は「死んだものです」と聖書は言います。
"信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。"
ヤコブの手紙 2章17節
"こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。
わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。"
マタイの福音書 7章20~21節
木が生きてたら実がなるように、神様に信頼して自分を預けている人は行動に現れます。エベデ・メレクは自分の命を神様に預けて、神様だけを信頼して王様にお願いしました。エレミヤを助けるには30人以上の護衛が必要なほどに危険なことでした。それでも神様は王様を動かし、エレミヤを助けました。
"エベデ・メレクは王宮から出て行き、王に告げた。
「わが主君、王よ。あの人たちが預言者エレミヤにしたことは、みな悪いことばかりです。彼らはあの人を穴に投げ込みました。もう都にパンはありませんので、あの人はそこで飢え死にするでしょう。」
すると王は、クシュ人エベデ・メレクに命じた。「あなたはここから三十人を連れて行き、預言者エレミヤを、まだ死なないうちに、その穴から引き上げなさい。」"
エレミヤ書 38章8~10節
神様はエベデ・メレクが命を預けるほどに神様を信頼したことを喜ばれました。彼は救い出され、敵に渡されることはありませんでした。
"「行って、クシュ人エベデ・メレクに言え。『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしはこの都にわたしのことばを実現させる。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらはその日、あなたの前で起こる。
しかしその日、わたしはあなたを救い出す──主のことば──。あなたは、あなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。
わたしは必ずあなたを助け出す。あなたは剣に倒れず、あなたのいのちは戦勝品としてあなたのものになる。あなたがわたしに信頼したからだ──主のことば。』」"
エレミヤ書 39章16~18節
神様に全てを預けて信頼する人からは恐れが消えます。だからこの神様に自分のいのちを預けちゃいましょう。あれこれと恐れますが、イエス様は言われます。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。」(マタイ10.28)絶対に大丈夫なのは神様以外にはありません。
"恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。"
イザヤ書 41章10節
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