2026年2月27日金曜日

民数記30章

 民数記30章


愛して一緒に考えてくれる人がそばにいて、一緒に判断してくれるのはすごい恵みです。聖書は「相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ。」と教えます。(箴言20.18)

若くて未熟な娘が、感情任せで神様に「こうします!」と言ったとします。でも本当に娘を愛しているお父さんはそれにブレーキをかけることができます。



"女が若くてまだ父の家にいるときに、主に誓願をするか、あるいは物断ちをする場合には、

その父が彼女の誓願、あるいは物断ちを聞いて、彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて有効となる。

しかし、もし父がそれを聞いた日に彼女に反対するなら、彼女の誓願、あるいは物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に反対するのであるから、主は彼女を赦される。"

民数記 30章3~5節



お父さんがそれに反対したり承認したりするのは娘を愛してことが前提です。妻に対する夫の役目も同じです。妻が「神様こうします!」と言う時に、夫は一緒に神様に祈り、神様に伺い、必要なときには反対することも大事です。



"もし女が夫の家で誓願をするか、あるいは、誓って物断ちをする場合には、

夫がそれを聞いて、彼女に何も言わず、反対しないなら、彼女の誓願はすべて有効となる。彼女の物断ちもすべて有効となる。

もし夫が、そのことを聞いた日にそれらを破棄してしまうなら、その誓願も物断ちも、彼女の口から出たすべてのことは無効となる。彼女の夫がそれを破棄したのだから、主は彼女を赦される。

すべての誓願も、自らを戒めるための物断ちの誓いもみな、夫がそれを有効にすることができるし、それを破棄することもできる。

もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。夫がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったのだから、彼はそれを有効にしたのである。

もし夫がそれを聞いた後、それを破棄するなら、夫が彼女の咎を負う。」

これらは、夫とその妻との間、父とまだ父の家にいる若い娘の間とに関して、主がモーセに命じられた掟である。"

民数記 30章10~16節



僕たちの本当の「お父さん」は神様です。本当の「夫」はイエスキリストです。イエス様は僕らのことを今日も祈り、愛し、守ってくださいます。

求めるならいつも真実な愛のある答えを下さる方です。

だからどんなことも自分だけで即決せずにまずは聞きましょう。求めるなら神様が聖書のことばを通して真実な答えを与えてくださいます。また、教会を通して答えを与えてくださいます。(1テモテ3.15)だから教会の指導者や、与えられている伴侶や、信頼できる先輩に聞きましょう。聖書は「相談して計画を整え、すぐれた指揮のもとに戦いを交えよ。」と教えます。(箴言20.18)「人が、ひとりでいるのは良くない。」とも(創世記2.18)「ふたりはひとりよりもまさっている。…三つ撚りの糸は簡単には切れない。」とも言います。(伝道者4.9-12)


神様が保護者です。イエス様は命を捨ててまで愛してくださる夫です。相談しましょう。ハレルヤ!

民数記29章

 民数記29章

2026年2月25日水曜日

民数記29章

 民数記29章


お祭りやイベントは盛り上がります。キャンプや賛美集会で燃えるのもいいけど、日常はもっと大事です。たまに「イベントだけ」の人もいて、終わったら急に冷えてしまいます。


神様はイスラエルの人々に神様のための祭りを年に数回行うように定められました。特にユダヤ暦の7月は(秋くらい)は3つのイベントが集中する月です。

…ですが、聖書は特別な祭りを書くたびに、「毎日のささげものとは別」と繰り返します。つまり、毎日の献身や、感謝や、賛美や、悔い改めもちゃんと継続的にするように、と教えているかのようです。毎日、地味だけど継続的なささげものの生活があっての、年数回の特別イベントです。

「イベントだけ盛り上がらないように」クギを刺しているかのようです。まずは7月1日です。



"第七の月には、その月の一日に聖なる会合を開かなければならない。あなたがたは、いかなる労働もしてはならない。これを、あなたがたにとって角笛が吹き鳴らされる日としなければならない。

あなたがたは、次のものを献げよ。主への芳ばしい香りとして、全焼のささげ物、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一匹、傷のない一歳の雄の子羊七匹。

それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパ、

七匹の子羊については、一匹につき十分の一エパ。

また、あなたがたのために宥めを行うには、罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。"

民数記 29章1~5節



7月1日は特別な日です。…ですが、実は「毎月1日」はいつも神様に感謝と献身をささげるように教えられています。つまり、「7/1は特別イベントだけど、毎月のささげものもちゃんと忘れないように」です。



"これとは別に、新月祭の全焼のささげ物とその穀物のささげ物、常供の全焼のささげ物とその穀物のささげ物、および、それらに添える注ぎのささげ物、すなわち、規定による、主への食物のささげ物、芳ばしい香り。"

民数記 29章6節



7月10日も特別な日です。すべての仕事が休みになり、神様に特別なものがささげられます。これは特に、人々の罪の赦しを願うための日で、レビ記23章では「なだめの日」と書かれています。

ですが、ここでも毎日のレギュラーのささげものとは「別である」と強調されています。日々の感謝や献身や悔い改めがあってこその特別な日です。毎日のささげものは「常供のささげもの」と書かれています。



"これらは、宥めのための罪のきよめのささげ物、常供の全焼のささげ物とそれに添える穀物のささげ物、および、それらに添える注ぎのささげ物とは別である。"

民数記 29章11節



さらに、7月15日からは7日間は、神様への特別な祭りの期間です「仮庵の祭り」とも言われています。(レビ記23章) 8日間、完全に仕事は休みになり、毎日特別なものがささげげられます。のちになると、ユダヤ人たちは必ずエルサレムに出かけて礼拝するようになります。それでも、毎日のささげものとは「別である」と強調してます。



"さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。"

民数記 29章16節



"さらに罪のきよめのささげ物として、雄やぎ一匹。これらは、常供の全焼のささげ物と、それに添える穀物のささげ物、および注ぎのささげ物とは別である。"

民数記 29章19節



お祭りやイベントは盛り上がります。でも土台は毎日の献身や、感謝や、賛美や、悔い改めです。土台があっての特別な集会です。キャンプや賛美イベントで燃えるのもいいけど、日常はもっと大事です。聖書はイスラエルの大きなイベント、神様のためのイベントを行うように伝えていますが、それと同じくらいに大切に毎日の継続的に神様に感謝と賛美をささげる大切さを伝えています。


田中満矢先生が「目立つステージも大事だけど日常の『裏』がもっと大事」と言っていました。今日も神様に感謝しましょう。今日も賛美をささげましょう。誰にも知られなくてOKです。神様が知っておられます。普段の感謝と献身と悔い改めがあってこその祭り、イベントです。


2026年2月24日火曜日

民数記28.16-31

 民数記28.16-31


何もなかった頃のことを思い出すと、今の全てが神様からの恵みだとわかります。環境も持ち物も全て神様からのプレゼントです。何もなかった頃、苦しくてもがいていた頃のことを思い出すのは恵みです。今は罪の束縛からも神様の怒りからも解放され必要なものが与えられています。全部が神様のおかげです。ところがその感動も感謝も忘れちゃうのが僕らです。あんなに感動して喜んでいた人が、いつの間にか神様に文句を言いながら離れていく姿、たまに見かけます。


イスラエルは40年前に奴隷から解放され救われました。神様の怒りによってエジプト全世帯の長男が次々と殺された時に、イスラエルは身代わりに子羊を殺すように言われて救われました。

その夜、何も持たずにエジプトを脱出しました。食料はただ小麦粉を焼いただけの種なしパンでした。彼らは何も持っていませんでした。


あれから40年経って、今イスラエルはいよいよ「乳と蜜の流れる豊かな土地」に住もうとしています。でも、この素晴らしい環境は神様からのものです。

神様は「救われた頃」「何もなかった頃」を忘れないために年に一度は家族で子羊を殺し、一週間はパン種の入らないせんべいのような質素な「種なしパン」を食べるように言われます。忘れないためです。



"第一の月の十四日は、過越のいけにえを主に献げなければならない。

この月の十五日は祭りである。七日間、種なしパンを食べなければならない。

その最初の日には、聖なる会合を開く。いかなる労働もしてはならない。"

民数記 28章16~18節



新しい土地で与えられる家畜も、小麦も、フルーツも、オリーブオイルも、全部神様からのものです。自分の力で手に入れたものではありません。



"あなたがたは、主への食物のささげ物、全焼のささげ物として、若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の雄の子羊七匹を献げなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。

それに添える穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一匹につき十分の二エパとする。

子羊七匹については、一匹につき十分の一エパとする。"

民数記 28章19~21節



労働から離れて神様に感謝することは僕らを原点に戻します。「仕事で稼いで生きるのではない」と確認できるからです。収穫やお金を神様にささげることは僕らを謙虚にします。「すべてが神様から与えられたもの」という原点に戻ることができるからです。何かを失うことも僕らを謙虚にします。「すべてが神様からの一時預かり」だと気がつくからです。

僕ら全員いつか死にます。全てを神様にお返しし、この肉体もお返しして死を迎えます。いのちも力も持ち物も主からの一時あずかりです。


最初は神様に感謝し感動していたのに、いつの間にか「あたり前」になってしまい、そのうちに収入も力も「自分の誇り」になり、自分の考えと少し違うだけで「不満」になるのはよくある話です。


傲慢になる僕らのために、週に1度は仕事から離れて神様に集中する安息日を神様は定めてくださいました。さらに年に数回は完全に仕事から離れ、神様にだけ集中する集会に参加する日を作ってくださいました。



"その最初の日には、聖なる会合を開く。いかなる労働もしてはならない。"

民数記 28章18節



毎年秋に収穫があった時も、まずは仕事を休みます。収穫も収入も全部神様からのものだからです。



"七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。

初穂の日、すなわち七週の祭りに、新しい穀物のささげ物を主に献げるときには、聖なる会合を開かなければならない。いかなる労働もしてはならない。"

民数記 28章25~26節



僕らの人生、全部神様からの恵みです。自分で手に入れたものなんてありません。原点に戻りましょう。感謝しましょう。何もなかった頃のことを思い出しましょう。


いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、もらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。"

コリント人への手紙 第一 4章7節

民数記28.1-15

 民数記28.1-15


旧約聖書に「全焼のいけにえ」が出てきます。これは、動物が灰になるまで焼き尽くして神様にささげる方法です。ささげる人は焼く前にその動物の頭に手を置きます。その意味は「神様、私たちの命すべてをあなたにささげます」という表明です。神様への完全な献身を表すことです。これは神様にとって「わたしのための食物」とか「香ばしい香り」とおっしゃるほどの喜びです。動物が殺されることが嬉しいのではなく、人々が自分を残すことなくささげる献身と愛が香ばしいのです。



"主はモーセに告げられた。

「イスラエルの子らに命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしのための食物、わたしへのささげ物を、わたしへの食物のささげ物、芳ばしい香りとして、定められた時に確実にわたしに献げなければならない。"

民数記 28章1~2節



この神様ささげものは毎日、朝にも夕方にもささげるようにと定められていました。



"彼らに言え。これがあなたがたが主に献げる食物のささげ物である。傷のない一歳の雄の子羊を、毎日二匹、常供の全焼のささげ物として。

一方の子羊を朝献げ、もう一方の子羊を夕暮れに献げなければならない。

穀物のささげ物として、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパ。

これはシナイ山で定められた、常供の全焼のささげ物であり、主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。

それに添える注ぎのささげ物は、子羊一匹につき四分の一ヒンとする。聖所で、主への注ぎのささげ物として強い酒を注ぎなさい。

もう一方の子羊は夕暮れに献げなければならない。朝の穀物のささげ物、および、それに添える注ぎのささげ物と同じものを、これに添えて献げなければならない。これは主への食物のささげ物、芳ばしい香りである。"

民数記 28章3~8節



動物のいのちに加えて、小麦粉や、オリーブ油や、ワインも一緒にささげます。これらは荒野では手に入らないものばかりで、決して「もったいない」のではありません。全ての良いものは神様から与えられることの宣言でもあります。神様が「乳と蜜の流れる豊かな土地」に入れてくださり、「豊かな収穫を与えてくださった」ことの表れです。


朝も夜もいつもこれらをささげることは神様の喜びであり、またイスラエルの人々の喜びでもありました。毎日ささげることは神様の祝福の中にブレずにとどまる方法でもありました。


今も同じように神様への「いけにえ」があります。動物を殺すのではありません。僕らが言葉で、口で、ちゃんと神様への感謝と献身と愛を言い表すことです。新約聖書はそれを「賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実」と言います。



"それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。

善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。"

ヘブル人への手紙 13章15~16節


いつも神様をほめたたえることは、神様への最高のささげものです。また、隣人に「善を行うことと、分かち合うこと」も「喜ばれるいけにえ」です。


今日も神様が最高に喜んでくださる「香ばしい香り」をささげましょう。賛美はまるで「わたしのための食物」です。今日も賛美しましょう。絶えず祈りましょう。全てのことを感謝しましょう。隣人に良いことをしましょう。それは神様にとって最高のささげものです。ハレルヤ!