2026年2月10日火曜日

民数記18.20-32

 民数記18.20-32


旧約聖書は「十分の一を、主への奉納物として献げなさい。」と何度も繰り返しています。(レビ記、民数記、申命記など多数)これは「税金高すぎる…」という感覚じゃなくて、「収入は神様から与えられたもの。そしてこれからも与えてくれる!」という神様への感謝と期待の表れです。イスラエルに与えられる生活はギリギリ生活ではなく、本当に「乳と蜜の流れる豊かな土地」です。


よく、「今の時代、十分の一献金はすべきか?」という議論があります。もしこの話が「多すぎる。むしり取られている。ムリ…」と思ってる話ならズレた議論です。「1/10が義務か任意か、気になる理由はなんだろう?」を自分に聞いてみるとわかります。神様への感謝がなく、喜びもなく、期待もなければ残るのは義務感や負担感だけです。「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(2コリント9.7)


イスラエルが与えられた土地は「神様が与えてくださった乳と蜜の流れる豊かな土地」でした。喜びと祝福に満ちた土地です。収穫を豊かに与えてくださるのは神様です。感謝と喜びの表明として、収穫の一番初めに、一番良いものをささげるように教えられています。


ところが、フルタイムで天幕の奉仕をするレビ人だけは、そのような「相続地を持ってはならない。」と言われます。彼らには目に見える「土地=収穫の源」のようなものがありませんでした。彼らの収入源は人々がささげるものです。それが彼らの生活の糧となりました。



"主はまたアロンに言われた。「あなたは彼らの地で相続地を持ってはならない。彼らのうちに何の割り当て地も所有してはならない。イスラエルの子らの中にあって、わたしがあなたへの割り当てであり、あなたへのゆずりである。

さらに、レビ族には、わたしは今、彼らが行う奉仕、会見の天幕での奉仕に報い、イスラエルのうちの十分の一をみな、ゆずりのものとして与える。"

民数記 18章20~21節



レビ族以外の11部族は目に見えるものが与えられていました。ところがレビ人は土地なし、収穫なしです。畑ではなく人々が神様にささげたもので生活しているのがレビ族です。神様が「与えてくださる」という約束を信じる生活です。そのようなレビ族も、与えられたものから「十分の一を、主への奉納物として献げなさい。」と教えられています。



"主はモーセに告げられた。

「あなたはレビ人に告げなければならない。わたしがあなたがたに相続のものとして与えた十分の一をイスラエルの子らから受け取るとき、あなたがたはその十分の一の十分の一を、主への奉納物として献げなさい。

これは、打ち場からの穀物や、踏み場からの豊かなぶどう酒と同じように、あなたがたの奉納物と見なされる。

こうして、あなたがたもまた、イスラエルの子らから受け取るすべての十分の一の中から、主への奉納物を献げなさい。その中から主への奉納物を祭司アロンに与えなさい。

あなたがたへのすべての贈り物のうち、それぞれの最上の部分で聖別される分から主へのすべての奉納物を献げなさい。"

民数記 18章25~29節



新約聖書はレビ族だけがフルタイムの奉仕者とはわず、全てのクリスチャンが奉仕者だと言います。全ての人は神様に近づく聖なる祭司です。(1ペテロ2.9)僕らが与えられる収入や収穫の源は神様からです。力も能力も神様からの賜物です。仕事を通して、ビジネスを通して収入を与えてくださるのは神様です。だから「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」と言われています。(マタイ6.33) それを信じ感謝して僕らは神様にお金も時間も力もささげます。


「十分の一献金はすべきか?任意か?」という話に戻りますが、新約聖書によると、聖霊に満たされ、喜びを知った人たちは、「十分の一はどうか?」なんて「どうでもいい。関係ない」みたいです。そんな議論には興味がなくて「全部神様のもの、みんなのもの。ハレルヤ!」という感じです。「自分が所有しているものを自分のものと言わず」全財産を神様と人のためにささげる様子が描かれています。



"信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、

財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。"

使徒の働き 2章44~45節


"さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。

使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。

彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、

使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。"

使徒の働き 4章32~35節



神様との信頼が深まるほど喜びと平安と確信が増していきます。そして神様に持ち物も時間もお金も全部をささげたいと思うように変えられていきます。そこには自由と喜びがあります。全部主のものです。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿