2026年2月10日火曜日

民数16.41-50

 罪を犯す他人のためにお祈りすること、これはまさにイエス様の願いそのものです。

イスラエルは何度懲らしめられても、神様のことがわからず、自分たちの不満をモーセにぶつけます。神様の裁きを目の当たりにしても、「あなたがたは主の民を殺した。」とモーセとアロンに文句を言い続けます。(民数記16.14)そんな彼らを神様は怒り、滅ぼそうとします。それでもモーセとアロンは彼らのために赦しを願い、祈ります。



"主はモーセに告げられた。

「あなたがたはこの会衆から離れ去れ。わたしはこの者どもをたちどころに絶ち滅ぼす。」二人はひれ伏した。

モーセはアロンに言った。「火皿を取り、祭壇から火を取ってそれに入れ、その上に香を盛りなさい。そして急いで会衆のところへ持って行き、彼らのために宥めを行いなさい。主の前から激しい御怒りが出て来て、神からの罰がもう始まっている。」

モーセが命じたとおり、アロンが火皿を取って集会のただ中に走って行くと、見よ、神の罰はすでに民のうちに始まっていた。彼は香をたいて、民のために宥めを行った。

彼が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、主の罰は終わった。"

民数記 16章44~48節



僕らは神様の怒りや裁きが降ると「ざまあみろ」と言いそうです。神様の復讐を喜びがちです。ですがイエス様は違います。さばく側、怒る側でありながら、罪人のために祈ってくださいます。そして、僕らにも「こう祈りなさい」と教えてくださいます。



"私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。"

マタイの福音書 6章12節



僕らはイラつき批判し、やっつけたいと思います。でもイエス様は他人の罪を自分のこととして、「私たちの負い目(罪)赦してください」と祈りなさい、とおっしゃいます。



"だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。"

ローマ人への手紙 8章34節



"彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。"

イザヤ書 53章12節


今日もイエス様と一緒に祈りましょう。ひどい罪を見聞きするとき、自分のこととして平伏しましょう。「神様、憐れんでください、彼らは何をしているのかわからないのです」と。

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