2026年2月10日火曜日

民数記16-17章 神様が選んだ指導者か?その見分け方。

 民数記16-17章

神様が選んだ指導者か?その見分け方。


神様との関係で生きてない人はいつも他人ばかり見ます。特に不満は指導者に向けられることが多いようです。コラとその仲間たち250人は自分たちも指導者になろうとし、モーセとアロンに不満をぶつけ、逆らい、それ故に神様は彼らを滅ぼされた恐ろしい出来事が描かれています。



(民数記16.28-35)

28,モーセは言った。「私を遣わして、これらのわざを行わせたのは主であり、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたに分かる。

29,もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の定めにあうなら、私を遣わしたのは主ではない。

30,しかし、もし主がこれまでにないことを行われるなら、すなわち、地がその口を開けて、彼らと彼らに属する者たちをことごとく吞み込み、彼らが生きたままよみに下るなら、あなたがたはこれらの者たちが主を侮ったことを知らなければならない。」

31,モーセがこれらのことばをみな言い終えるやいなや、彼らの足もとの地面が割れた。

32,地は口を開けて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての所有物を吞み込んだ。

33,彼らと彼らに属する者はみな、生きたまま、よみに下った。地は彼らを包み、彼らは集会の中から滅び失せた。

34,彼らの周りにいたイスラエル人はみな、彼らの叫び声を聞いて逃げた。「地がわれわれも吞み込んでしまわないか」と人々は思ったのである。

35,また、火が主のところから出て、香を献げていた二百五十人を焼き尽くした。



神様は指導者を選び、用いられます。

神様はこの事件の後、アロンが大祭司であることが誰にでもはっきりとわかるように、特別にしるしを与えてくださいました。アロンの名前が書いてある杖から芽が出て花が咲き、実がなる、というしるしです。これは、神様が選び出してくださったことの証拠です。



"主はモーセに告げられた。

「イスラエルの子らに告げ、彼らから杖を、部族ごとに一本ずつ、彼らの部族のすべての族長から十二本の杖を取れ。その杖に各自の名を書き記さなければならない。

レビの杖にはアロンの名を書き記さなければならない。彼らの部族のかしらにそれぞれ一本の杖とするからだ。

あなたはそれらを、会見の天幕の中の、わたしがそこであなたがたに会うあかしの箱の前に置け。

わたしが選ぶ人の杖は芽を出す。こうしてわたしは、イスラエルの子らがあなたがたに向かって言い立てている不平を、わたし自身から遠ざけ、鎮める。」

モーセがイスラエルの子らにこのように告げたので、彼らの族長たちはみな、部族ごとに、族長一人に一本ずつの杖、十二本を彼に渡した。アロンの杖も彼らの杖の中にあった。

モーセはそれらの杖を、主の前、すなわちあかしの天幕の中に置いた。

その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ。レビの家のためのアロンの杖が芽を出し、つぼみをつけ、花を咲かせて、アーモンドの実を結んでいた。

モーセがそれらの杖をみな、主の前からすべてのイスラエルの子らのところに持って来たので、彼らは見て、それぞれ自分の杖を取った。

主はモーセに言われた。「アロンの杖をあかしの箱の前に戻して、逆らう者たちへの戒めのために、しるしとせよ。彼らの不平をわたしから全くなくせ。彼らが死ぬことのないようにするためである。」"

民数記 17章1~10節



今は教会の指導者に杖から芽が出て実がなるようなしるしはありません。…ですが、それでも見えるし分かります。聖霊の実はリアルな生活態度に出ます。教会がスタートした時、トラブルが起こったとき、執事7人を選んだ時も御霊に満ちた人をその生活によって判断しました。



"そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして、

私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」

この提案を一同はみな喜んで受け入れた。そして彼らは、信仰と聖霊に満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、そしてアンティオキアの改宗者ニコラオを選び、"

使徒の働き 6章3~5節



教会の指導者に任命されるとかリーダーとしての適性を考えるときに、具体的な生活態度で判断するように聖書は教えています。



"ですから監督は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、礼儀正しく、よくもてなし、教える能力があり、

酒飲みでなく、乱暴でなく、柔和で、争わず、金銭に無欲で、

自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人でなければなりません。

自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会を世話することができるでしょうか。"

テモテへの手紙 第一 3章2~5節



"長老は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、子どもたちも信者で、放蕩を責められたり、反抗的であったりしないことが条件です。

監督は神の家を管理する者として、非難されるところのない者であるべきです。わがままでなく、短気でなく、酒飲みでなく、乱暴でなく、不正な利を求めず、

むしろ、人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、

教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。"

テトスへの手紙 1章6~9節



これはその人が優れているのではなく、神様の恵みの御霊の表れです。

逆に、神様が選んでないのに、自分で上に立とうとする人も分かります。人を妬み、比べ、不平不満、悪口、淫らな行為はど、適性が欠けていることは分かりやすく、そのリストは聖書に明示してあります。



"肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、

偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、

ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。"

ガラテヤ人への手紙 5章19~21節



滅ぼされたコラとその仲間のような人が今も教会に混じって指導者になりたがり、教会を混乱させることががあると聖書は言います。彼らは神様が与えた指導者やその権威を認めず、欲望と利益のために自分を偉い人のように見せようとします。



"それにもかかわらず、この人たちは同じように夢想にふけって、肉体を汚し、権威を認めず、栄光ある者たちをののしっています。"

ユダの手紙 1章8節



"しかし、この人たちは自分が知りもしないことを悪く言い、わきまえのない動物のように、本能で知るような事柄によって滅びるのです。

わざわいだ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのように背いて滅びます。

この人たちは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れる心もなく一緒に食事をしますが、自分を養っているだけです。彼らは、風に吹き流される雨無し雲、枯れに枯れて根こそぎにされた、実りなき秋の木、

自分の恥を泡立たせる海の荒波、真っ暗な闇が永遠に用意されている、さまよえる星です。"

ユダの手紙 1章10~13節



"彼らは、ぶつぶつ不満を並べる者たちで、自らの欲望のままに生きています。その口は大げさなことを語り、利益のために人にへつらいます。"

ユダの手紙 1章16節



"彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、嘲る者たちが現れて、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう。」

この人たちは、分裂を引き起こす、生まれつきのままの人間で、御霊を持っていません。"

ユダの手紙 1章18~19節


指導者になりたがる人を見分けましょう。そのしるしは生活態度に表れます。本当に神様が選ばれていない人には、不平不満など悪から出た態度しか出ません。リーダーになりたがったコラもその仲間たちも神様から選ばれた人ではありませんでした。聖霊の実はリアルな生活態度に出ます。



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