ローマ10.1-13
神様に認めてもらう方法は「がんばって100点取ろう」ではなくて、「もうすでに余裕の100点」をとっているイエス様を心にお迎えすることです。「生き延びよう」とがんばるのではなく、復活して今も生きていて、いのちを無限に与えてくださるイエス様を信じて受け入れることです。
イスラエル人たちは「立派な正しい人」目指して旧約聖書を細かく学んでがんばりました。ところが彼らは義(正しく無罪なこと)はイエス様から与えられる、という一番大事なことを知りませんでした。
"私は、彼らが神に対して熱心であることを証ししますが、その熱心は知識に基づくものではありません。
彼らは神の義を知らずに、自らの義を立てようとして、神の義に従わなかったのです。"
ローマ人への手紙 10章2~3節
彼らが求めたのは「自分の義(自分は正しく無罪!)」です。一方、神様が与えてくださるのは「神様の義」です。神様がくださる義の方がいいに決まっています。与えられる方法は、100点満点のイエス様が自分の中に生きていると認め、信じ、告白することです。
"律法が目指すものはキリストです。それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。"
ローマ人への手紙 10章4節
自分の立派さに関係なく、イエス様を信じる人は、イエス様と一緒に100点満点とみなされます。これが「義」の意味です。それは絶対になくならないし、失望させられることはありません。
"なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。
「主の名を呼び求める者はみな救われる」のです。"
ローマ人への手紙 10章9~13節
イスラエル人たちは律法を調べることに異常に熱心で、「誰か天に上って聞いてきて!」とか「誰か海の底まで行って探してきて!」ってレベルでした。
でも答えはすぐ近くにありました。
「あなたは心の中で、『だれが天に上るのか』と言ってはならない。」それはキリストを引き降ろすことです。
また、「『だれが深みに下るのか』と言ってはならない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。
では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。"
ローマ人への手紙 10章6~8節
神様の教えはすぐ近くにあります。というより、僕らの中にもうイエス様がいます。生きているイエスを信じる人は、すべての教えを手に入れます。
"なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。"
ローマ人への手紙 10章8~10節
聖書の勉強も行いも大事だけど、それで義とされるのではありません。聖書の教えも、行いも、今生きておられるイエス様から与えられます。イエス様は僕らの中にいます。大丈夫です。ハレルヤ!
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