ローマ9.14-26
いつの間にか「こうすればうまくいく」「この戦略で成功する」とか、「あの人はここがダメ、自分のココが嫌い」みたいに、神様の計画や評価→人間の計画や評価にずれていくことがあります。
計画も評価も主権を持っておられるのは神様です。人が変えられて神様の子どもになるのは神様の選びです。人が変えられるのも神様によります。ダメな人かどうか最後に判断するのも神様です。人の努力によるのではありません。神様は人をどのようにでも変えることができます。
"ですから、これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。"
ローマ人への手紙 9章16節
"ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままに頑なにされるのです。"
ローマ人への手紙 9章18節
「じゃあ神様、なんで私をこんなクズにつくったの?なんであの人をひどい人にしたの?」「こんな人に作っておいて最後に裁くのおかしい」という声が聞こえてきそうです。聖書はいいます。
"人よ。神に言い返すあなたは、いったい何者ですか。造られた者が造った者に「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
陶器師は同じ土のかたまりから、あるものは尊いことに用いる器に、別のものは普通の器に作る権利を持っていないのでしょうか。"
ローマ人への手紙 9章20~21節
どのように人を作るか、決めるのは神様です。
そして僕らは全員「不合格」です。陶器師は気に入らない器を壊します。割ってもいいし、捨ててもいいゴミです。…だのに、神様は捨てずにあわれんでくださいました。
"それでいて、もし神が、御怒りを示してご自分の力を知らせようと望んでおられたのに、滅ぼされるはずの怒りの器を、豊かな寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうですか。
しかもそれが、栄光のためにあらかじめ備えられたあわれみの器に対して、ご自分の豊かな栄光を知らせるためであったとすれば、どうですか。
このあわれみの器として、神は私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
それは、ホセアの書でも神が言っておられるとおりです。「わたしは、わたしの民でない者をわたしの民と呼び、愛されない者を愛される者と呼ぶ。
あなたがたはわたしの民ではない、と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」"
ローマ人への手紙 9章22~26節
これが福音、嬉しい知らせです。
不合格でした。捨てられるはずでした。
だのに、あわれみを受け、愛され、作り変えられています。
形の悪いものを「愛されるもの」と今日も呼びかけてくれています。
これが福音です。
全部神様の恵みです。
「これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです」(16) 僕らができることは感謝と賛美しかありません。ハレルヤ!
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