1歴代29.6-19
神様は献金がないと困る方ではありません。「わたしと、わたしの教会を支えるために献げてほしい」ということはありません。
むしろ逆です。「神様が」僕らに必要なお金をいつも与えてくださっています。僕らが持っているものは最初から全部神様のものです。
ダビデはとんでもない権力と財産を持つ王様になりましたが、それら全部が神様から預りものであることを知っていました、だから神様に感謝したくて、愛したくて、その愛をカタチにしようとしました。それが壮大な神殿建築計画です。ダビデもリーダーたちも「進んで」「喜んで」ささげました。ささげることは、神様への愛と喜びの表れです。富も、力も、時間も、才能も、命さえも、もともと神様から与えられたものです。
"ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。
主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。
私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。"
歴代誌 第一 29章10~13節
僕らも同じです。僕らの時間も力も才能も財産も、「僕らの」というよりも「神様からの」預かりものです。
"このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。"
歴代誌 第一 29章14節
僕らは預かっています。量は人によって違います。ある人には5タラント、ある人は2、ある人は1です。(マタイ25章)僕らは神様に喜ばれたくて、預かったものを工夫して使います。財産も力も時間も神様を愛して与えられた使命を忠実に果たすために預けられています。
よく「いくら神様に捧げたらいいの?」という悩ましい話を聞きますが、正しい考えはこちらです。
「全額神様から預かったものだけど、神様はこれをどうやって使ってほしいと思っておられるかな?」
神様はお金に全く困っていません。むしろ神様が僕らが管理できる金額をちょうどよく預けてくださっています。
シンガポールに研修に行った時、何千人も収容でいきる教会の会堂を3つも所有する教会の牧師の話を聞きました。その牧師は質問されるそうです。
「どうしてこんな大きなものをいくつも建築することができるのですか?スポンサーがいるのですか?」
先生の答えは以下のようなものでした。
「隣の席の人がお財布をくれて、その財布からいくらでも自由に献金していい、って言われたら、神様にどのくらいささげますか?」
「多くの人は、『隣の人がそう言うなら全額献金します』と答えます。同じように、皆さんが毎日使っている財布は、本当は神様から預かっているお財布です。神様がそれを自由に使っていいって言ってくれてます。」
僕らのお財布は全額神様ものです。ダビデは言います。「すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。」(14)
お金も、時間も、力も、人生も全部、神様を愛し、人を愛するために神様が託してくださったものです。今日も喜んでお返ししましょう。ハレルヤ!
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