2歴代34.18-35.19
他人に無関心な時代、個人主義の時代かもしれませんが、神様が願っておられるのは、僕らが一人ひとりバラバラに信仰生活を送ることでなく、みんなが神様に従えるように支え合うことです。互いに関心を持ち、愛し、支え合うことが本来の神様に似せて作られた人間の姿です。
これは礼拝する時も同じです。自分だけが礼拝するのではなく、みんなが一つになって礼拝するようにと神様が願っておられます。
ヨシヤ王は国を神様に立ち返らせ、「もう一度過越の祭りを行いたい」と考えました。が、それは「個人的に」ではなく「国全体が」神様を礼拝することです。
彼はただ命令したり指示するだけではなくて、自分の財産から、羊ややぎの子を3万匹、牛を3千頭も提供しました。自分の持っているものを使って人々が過越のいけにえをささげることができるようにしています。
"ヨシヤは民の者たちに、群れの中から子羊とやぎの子を提供した。これらはみな、そこにいたすべての人の過越のいけにえのためであった。その数は三万匹、牛は三千頭。これらは王の財産の中から出された。"
歴代誌 第二 35章7節
他の人たちの分まで準備する姿勢は高官たちにも影響を与えました。彼らも王様と同じように「周りの人たちが礼拝できるように」自分の財産を提供し始めました。
"王の高官たちも、民、祭司、レビ人のために、進んで献げるものを提供した。神の宮のつかさたち、ヒルキヤ、ゼカリヤ、エヒエルも、祭司たちに過越のいけにえとして羊二千六百匹、牛三百頭を与えた。"
歴代誌 第二 35章8節
ヨシヤ王の姿は僕らのお手本です。彼は自分だけの礼拝とは思わず、みんなが礼拝することを願い、そのために準備をしました。また、人々を他人とは思わず、神様につながる共同の体と思っていたことがわかります。
この姿勢は奉仕者全体に及び、互いに助け合って準備する文化ができました。
門衛を担当する人たちも、賛美を担当する人たちも、それぞれ持ち場を離れず奉仕に集中するために、他の人たちが必要な用意をしました。お互いに役割は違いますが、一緒に神様を礼拝するために支え合っていたことがわかります。
"アサフの子孫である歌い手たちは、ダビデ、アサフ、ヘマン、および王の先見者エドトンの命令のとおりにその役目に就いていた。また、門衛たちはそれぞれの門を守っていた。彼らのうちだれも、その奉仕を離れる必要がなかった。彼らの兄弟であるレビ人が彼らのための用意をしたからである。
こうしてその日、ヨシヤ王の命令のとおりに、主の祭壇で過越のいけにえを献げ、全焼のささげ物を献げるための、主への奉仕の用意はすべて整った。"
歴代誌 第二 35章15~16節
教会にはいろいろな奉仕があって、賛美をする人もいれば、子どもたちを担当する人もいれば、食事を準備する人もいます。役割は違いますが、それぞれが助け合うことも、神様への大切な奉仕です。
そしてまた、お互いのことを自分のことのように考えるのは、他人が失敗した時も同じです。
ヨシヤ王は親の世代の罪や失敗を、「自分たちの罪」として心を痛めて悲しみ、神様の前で悔い改めて祈っています。
「行って、見つかった書物のことばについて、私のため、イスラエルとユダの残りの者のために、主を求めよ。私たちの先祖が主のことばを守らず、すべてこの書に記されているとおりに行わなかったために、私たちの上に注がれた主の憤りが激しいからだ。」"
歴代誌 第二 34章20~21節
"あなたがこの場所とその住民について神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛めて神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を引き裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。"
歴代誌 第二 34章27節
僕らは誰かが罪を犯した時「あの人が悪い」で終わりがちです。でも、他人の罪を責めるだけでなく、一緒にへりくだって悔い改めることはイエス様の願いです。イエス様が祈りを教えてくださった時、「わたし」の罪をお赦しださい、ではなく、「わたしたち」の罪をお赦しください、と祈るように教えてくださいました。(ルカ11.4)
互いの欠点や互いが犯した罪も裁き合うのではなく、一緒にイエス様のもとで告白します。
「自分だけ良ければいい」「あいつが悪い」ではありません。教会はキリストの体、共同体です。「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。」(1コリント12.27)
ヨシヤ王のお手本は、礼拝が個人ではなく、みんな礼拝できるように支えあう人だったことです。
そして、他の人の問題も自分の問題として受け止め、一緒に祈ることです。
自分だけが神様に従うのではなく、人々みんなが神様に従うことができるように願っていたことがわかります。
神様の願いは「自分さえよければいい」とは違います。御霊が僕らを一つにさせてくださいます。初代の教会は聖霊に満たされていました。そして、「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」(使徒4.32)
神様、僕らの心を神様の心にしてください。無関心や個人主義ではなく、イエス様が願う一つの体とさせてください。イエス様だけが変えてくださると信じてお願いします。
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