2歴代32.20-33
「人はうわべを見るが、主は心を見る」という言葉があります。(第一サムエル記16章7節)
僕ら人間は、他人の実績とか成功とか持ち物とか能力とかで判断しがちです。でも、神様が関心を持っておられるのは、その人の「心」です。今日のヒゼキヤの出来事も神様の関心は「心」です。
ヒゼキヤはめちゃくちゃ祝福された人です。
偶像で汚れきった国中から偶像を取り除き、神殿の扉を開け、礼拝や賛美を回復させ、過越の祭りを再開させた人です。大国アッシリアに包囲されて脅されても、神様に祈り、叫び、救い出してもらいました。
こんなに祝福された人は、ほかにいないんじゃない?というレベルです。
「主は御使いを遣わして、アッシリアの王の陣営にいたすべての勇士、指揮官、隊長を全滅させた。アッシリアの王は恥じて国へ帰り、自分の神の宮に入った。そのとき、自分の身から生まれ出た者たちが、そこで彼を剣にかけて倒した。」
(歴代誌第二32章21節)
「多くの人々が、主へのささげ物やユダの王ヒゼキヤに贈る選りすぐりの品々を携えて、エルサレムに来るようになった。この時以来、ヒゼキヤはすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。」
(歴代誌第二32章23節)
その財産はすごかったようです。
「ヒゼキヤは非常に多くの富と誉れを手にした。彼は、銀、金、宝石、バルサム油、盾、すべての尊い器を納める宝物倉、
穀物、新しいぶどう酒、油などの産物のための倉庫、さらに、あらゆる家畜のための小屋や、羊の群れの囲いを造った。
彼は町々を建て、羊や牛の群れもおびただしい数であった。神が、実に豊かな財産を彼に与えられたからである。」
(歴代誌第二32章27~29節)
死にかけるような病気になったときも、神様に祈ると、彼は癒されました。
「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。」
(歴代誌第二32章24節)
こんなに祝福されていたら「神様ってヒゼキヤのことをすごく喜んでいたんだろうな」って思います。ところが、聖書が注目しているのは「彼がどれだけ成功したか」ではありません。神様が見ているのは「彼の心」です。つまり彼が「この祝福にどう答えたか」です。25節には、彼が「心を高ぶらせた」と書かれています。
「ところがヒゼキヤは、自分に与えられた恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせたので、彼の上に、また、ユダとエルサレムの上に御怒りが下った。」
(歴代誌第二32章25節)
祝福されていることと、「神様の前でどんな心か」は別問題です。大事なのは神様がしてくださった恵みを数えて神様に栄光と感謝をささげることです。
大きな祝福を受けた時には、ますます感謝と賛美をささげ、栄光をお返しする責任があります。人はうまくいくと「自分のおかげ」と高ぶりやすくなるからです。最初から最後まで、全部が神様から与えられた恵みです。
聖書は「多く与えられた人は多く求められます」いいます。(ルカ12.48)多くの恵みを受けた人は、その恵みに感謝して栄光と主権を神様にお返しすることが求められます。
ヒゼキヤが「恵みに応えようとせず、かえってその心を高ぶらせた」とき、神様は分かりやすく怒りを示してくださり、ヒゼキヤは悔い改めました。
「しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。」
(歴代誌第二32章26節)
僕らが祝福されて、財産が増えたり、祈りが聴かれたりして上手くいくのは素晴らしいことです。
でも、もっと大事なことは、神様への感謝が増えていき、神様への賛美が増えていくことです。神様は心をご覧になります。ことがうまく行った時、人から認められた時こそ神様に感謝し賛美し、栄光をお返する時です。自分を高くし、誇りたくなる時だからです。
ヒゼキヤは祝福され、その噂は周辺諸国に広がり、尊敬され、見学に来る国もありました。来訪者はヒゼキヤをほめ、尊敬を表します。ほめられるのは悪いことじゃないけど、そんな時こそ高ぶりの誘惑が迫っています。聖書は外国からの来客を使って「彼を試みて、その心にあることすべてを知ろうと」したと言います。
「ただし、バビロンの首長たちが、この地に示されたしるしについて調べるために彼のもとに使節を遣わしたとき、神は彼を試みて、その心にあることすべてを知ろうとして彼を捨て置かれた。」
(歴代誌第二32章31節)
ヒゼキヤは高ぶりましたが、それを認めて悔い改めます。「ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。」(26節)
僕らも正直に認めましょう。感謝していないこと、高ぶっていること、そのような自分の足りなさを、今日も告白しましょう。不完全な僕たちを赦し、義としてくださるのは、ただイエス様の十字架の血によります。十字架以外には、僕たちには誇りはありません。高ぶることなく感謝しましょう。ハレルヤ!
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