神様こそ僕らの王であり全ての権威と栄光をお持ちの方です。僕らは王ではありません。イエス様は「神のものは神に返しなさい」とおっしゃいました。僕らが持ちたがる支配権を全部神様に返しなさい、という意味です。僕らが欲しがる栄光は全て神様のものです。「神のものは神に返しなさい」です。(25)聖書は「主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。」と言います。(詩篇29.1)
この当時の祭司長や律法学者たちは神殿の支配権を奪われたくないと思ったようです。神殿は彼らにとって儲かる場所でした。イエス様は神殿から商売人を追い出し、(19.46)彼らにとってイエス様は目の上のたんこぶのようでした。そんなイエス様を排除するため、ワナにはめようとしました。
(20-22)
さて、機会を狙っていた彼らは、義人を装った回し者を遣わした。イエスのことばじりをとらえて、総督の支配と権威に引き渡すためであった。彼らはイエスにこう質問した。「先生。私たちは、あなたがお話しになること、お教えになることが正しく、またあなたが人を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
ところで、私たちがカエサル(ローマ総督)に税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。」
彼らはなんとかイエス様に「税金を納めることは律法にかなっていない」と言わせたかったようです。そうすれば告発してイエス様をローマ帝国に逮捕してもらえます。ローマ帝国のコインには皇帝カエサルの肖像があり、「神にして尊き者」と書かれていたそうです。皇帝を神にして崇拝することは聖書の教えに反していました。だからローマに納税することは偶像礼拝に加担することだ、と言わせたかったようです。これはイエス様を拘束するための悪巧みでした。
(23-25)
イエスは彼らの悪巧みを見抜いて言われた。
「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。だれの肖像と銘がありますか。」彼らは、「カエサルのです」と言った。
すると、イエスは彼らに言われた。「では、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」
イエス様の答えは「カエサルのものはカエサルに」です。つまり、納税しなさい、ということです。聖書によると、この世の全ての権威は神様のものであり、人間に与えられている全ての権威は神様によるものです。
(ローマ 13:1-2)
人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
(ローマ 13:7)
あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。
もちろん人間の制度には欠点があり罪があります。それでも神様は人間の制度を大事にしなさい、と言われました。それを与えるのは神様だからです。
それ以上に大事なことは、権威や制度を与えてくださるのは神様であり、この神様にこそ賛美をささげ、感謝をささげ、全ての支配権をお返しすることです。イエス様は「神のものは神に返しなさい。」とおっしゃいました。
この世界の全ての制度は神様のものです。制度ばかりでなく、この世の出来事の全てが神様の支配の下にあります。それを認め、感謝し、委ね、従うことが「神のものは神に返す」ことです。
僕らは王ではありません。神様だけが王の王であり、僕らの全ての支配者であり、賛美をお受けになる方です。ガンコになって握りしめ、抱え込んでいることはあるでしょうか。全ての栄光と力は、そして計画も計算も神様にお返ししましょう。主だけがみ心をなされます。僕らは神様ではありません。権威は神様のものです。ハレルヤ!
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