僕らはいつの間にか自分が全ての権威と支配力を持ちたいと思うし、気に入らない人は排除したいと思います。イエス様の時代、神殿を支配して利益を得ていたのは祭司たちでした。本当は神殿は神様のものです。イエス様は神殿から商売人を追い出し、『わたしの家は祈りの家でなければならない』(19.46)とおっしゃいました。神殿はイエス様の祈りの家です。それが気に入らないのが当時の大祭司たち律法学者たちです。これは僕らの姿と同じです。
(1-2)
ある日、イエスが宮で人々を教え、福音を宣べ伝えておられると、祭司長たちと律法学者たちが長老たちと一緒にやって来て、
イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしているのか、あなたにその権威を授けたのはだれなのか、教えてくれませんか。」
僕ら人間はいつも自分が神様のように力を持ちたがります。でも、全ての力は神様のものです。支配は神様のものです。イエス様の時代、バプテスマを授けていたヨハネは神様から権威をいただいていました。それもまた祭司たち、律法学者たちは認めたくなかったようです。
(3-8)
イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それに答えなさい。ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。」すると、彼らは論じ合った。「もし天からと言えば、どうしてヨハネを信じなかったのかと言うだろう。だが、もし人からと言えば、民はみな私たちを石で打ち殺すだろう。ヨハネは預言者だと確信しているのだから。」
そこで、「どこから来たのか知りません」と答えた。
するとイエスは彼らに言われた。「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに言いません。」
祭司長たち、律法学者たちは自分の権威を欲しがります。僕らも同じです。「権威」という言葉こそ使いませんが、いつも周りを自分の思い通りにしたがります。また、人々からの支持や賞賛も欲しがります。なんでも思い通りにしたがるのが人間の傲慢さです。人間はみんな自分が王様になりたいものです。しかし、本当の王様はイエス様です。僕らではありません。
これは、最初の人間アダムから始まった人類全員の罪です。悪魔から「あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになる」(創世記3.5)と言われ時から、ずっとその気になっています。本気で「自分は目が開けている」「私は善悪をわかっている」「俺が支配する」と思い込んしまってます。これが罪です。そして、神様から遣わされた預言者たちを排除し、殺し、イエス様さえも殺します。イエス様はそれをたとえ話で言われました。
(9-15節)
また、イエスは人々に対してこのようなたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を造り、それを農夫たちに貸して、長い旅に出た。
収穫の時になったので、彼は農夫たちのところに一人のしもべを遣わした。ぶどう園の収穫の一部を納めさせるためであった。ところが農夫たちは、そのしもべを打ちたたき、何も持たせないで帰らせた。
そこで別のしもべを遣わしたが、彼らはそのしもべも打ちたたき、辱めたうえで、何も持たせないで帰らせた。彼はさらに三人目のしもべを遣わしたが、彼らはこのしもべにも傷を負わせて追い出した。
ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。そうだ、私の愛する息子を送ろう。この子なら、きっと敬ってくれるだろう。』
ところが、農夫たちはその息子を見ると、互いに議論して『あれは跡取りだ。あれを殺してしまおう。そうすれば、相続財産は自分たちのものになる』と言った。そして、彼をぶどう園の外に放り出して、殺してしまった。
このぶどう園の主人は神様です。旧約聖書はイスラエルのことをぶどう園のように表現しています。主人から遣わされたしもべたちとは預言者たちです。そして、主人の息子とはイエス様です。でも農夫たちはいつも支配者になりたがります。というか自分がこの世界のオーナーであると錯覚しています。本当のオーナーであり、支配者は神様です。彼らはそれを忘れ、イエス様を殺してしまいました。
(15-17)
こうなったら、ぶどう園の主人は彼らをどうするでしょうか。
主人はやって来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるでしょう。」これを聞いた人たちは、「そんなことが起こってはなりません」と言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』と書いてあるのは、どういうことなのですか。
イエス様は人々から捨てられた石のようです。この捨てられた石こそが一番大事な意思です。イエス様こそが支配者であり権威者であり王の王です。僕らは気が付いてないだけです。今日も、僕らに起こる全てのことは神様の権威の下にあることです。全ての出来事に神様の支配があります。
僕らは王様ではありません。権威をイエス様に明け渡しましょう。自分でコントロールするのはやめて、神様に従いましょう。僕らの人生は神様のものです。預かっているだけです。全ての権威と賞賛は神様だけが受けるべきものです。それを欲しがるのは傲慢であり、盗みです。お返ししましょう。権威は神様のもの、賛美は神様のものです。ハレルヤ!
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