2歴代1章
「できない」「足りない」「わからない」って思うことは悪いことでも恥ずかしいことでもありません。むしろ良いことであり、神様を求めるための大切な、そして健全な出発点です。
ソロモンは王になったとき、自分にはこの大きな民を治める知恵も判断力もない、と認めました。そして神様に求めました。与えられた理由は「自分にはできない」と思って神様に求めたからです。
ソロモンは神様を礼拝し、神様を求めました。そして、神様も「あなたに何を与えようか。願え。」と言ってくださいました。
"ギブオンの主の幕屋の前には、フルの子であるウリの子ベツァルエルが造った青銅の祭壇があった。ソロモンと会衆はそこで主を求めた。
ソロモンは、そこに、すなわち会見の天幕におられる主の前にある青銅の祭壇に上り、その上で千匹の全焼のささげ物を献げた。
その夜、神はソロモンに現れて仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」"
歴代誌 第二 1章5~7節
ソロモンは神様がダビデに約束してくれた祝福を求め、そして、リーダーとしての知恵と知識を求めました。
"神、主よ、今、私の父ダビデになさったあなたの約束を堅く守ってください。あなたは、地のちりのように数の多い民の上に、私を王とされたからです。
今、知恵と知識を私に授けてください。そうすれば、私はこの民の前に出入りいたします。さもなければ、だれに、この大いなるあなたの民をさばくことができるでしょうか。」"
歴代誌 第二 1章9~10節
自分にはない、足りない、と思う人は必死に求めます。貧しい人は幸いです。
ヤコブ1章5節は「知恵の欠けた人は求めなさい」といいます。ソロモンは「私は小さな子どもで、出入りする術を知らない」と告白しています。
"わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。
そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。
善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」"
列王記 第一 3章7~9節
わ
求める人に神様は惜しげもなく与えてくださいます。大事なことは自分は「知恵が欠けている」ってちゃんと認めることです。
「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」(ヤコブ1.5)
ソロモンは並外れて偉大なものとされました。
"神はソロモンに仰せられた。「そのようなことがあなたの心にあり、富も、財も、名誉も、あなたを憎む者たちのいのちさえ願わず、また長寿も願わず、むしろ、わたしがあなたをその王として立てたわたしの民をさばくための知恵と知識を願ったので、
その知恵と知識があなたに授けられる。またわたしは、あなたの前の王にも後の王にもないほどの富と財宝と誉れをあなたに与える。」
こうして、ソロモンはギブオンにある高き所から出て行き、会見の天幕の前を去ってエルサレムに行き、イスラエルの王となった。
ソロモンは戦車と騎兵を集め、戦車千四百台と騎兵一万二千人を所有した。彼はこれらを戦車の町々、およびエルサレムの王のもとに配置した。
王はエルサレムで銀と金を石のように用い、杉の木をシェフェラのいちじく桑の木のように大量に用いた。"
歴代誌 第二 1章11~15節
逆に、「俺には力がある」「俺はできる」「俺は持っている」と思う人は愚かです。その高ぶりは滅びにつながります。「彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。」(2歴代26.16)にあるように、高ぶって滅んでいく実例が聖書に何度もあります。だからあなたは心のうちで、「私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。(申命記8.17)「自分を知恵のある者と考えるな。」(箴言3.7)と神様は僕らに警告します。
「できない」「足りない」「わからない」正直に認めましょう。それは神様に求める機会、神様の大きさを体験する機会とされます。だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神様です。弱さとか足りなさはめぐみを受け取る通過点です。ハレルヤ!