ヨブ4章
ユダヤ人が苦しんでる人を見ると、「この人はウラで悪いことをしたんだろう…」と思うそうです。イエス様の弟子たちも盲人を見て、「だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と言ってます。これは僕らも同じで、悲惨なことを見ると「きっとこうだから」「多分あれのせい」と思いがちです。でも、実際には、僕らの知ってることとか判断は神様から見るとほんの一部です。全部は知らされていません。聖書は「隠されていることは、私たちの神、主のものである。」といいます。(申命記29:29)
ヨブの苦しみの理由は知らされていませんでした。ヨブの罪のせいではありませんでした。ところが友人のエリファズは「悪いことをしたから刈り取ってるんだよ」と主張します。
(7-9節)
さあ、思い出せ。だれか、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。
私の見てきたところでは、不法を耕して害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ。彼らは神の息吹によって滅び、御怒りの息によって消え失せる。
エリファズは、自分の知識と体験で自己主張します。「私の見てきたところでは」(8)です。主張の根拠は「自分の観察によると」です。自分の観察によって「神様のことはわかる」といいたげです。そして僕らもそうなりがちです。そんな僕らに神様は言われます。
(イザヤ55.8-9)
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
エリファズは自分の主張を続けます。今度は自分の霊的な経験談です。「霊が僕の顔の上をスーっと通って行った」「身の毛がよだった」「こんな声を聞いた」です。そして「だから僕の言っていることは正しい」と言いたげです。
(12-16)
12,あることばが私に忍び寄り、そのささやきを私の耳がとらえた。
13,夜の幻で思いが乱れ、深い眠りが人々を襲うとき、
14,おののきと震えが私に降りかかり、私の骨々の多くがわなないた。
15,ある霊が顔の上を通り過ぎ、私は身の毛がよだった。
16,それは立ち止まったが、私はその顔だちを見分けられなかった。しかし、その姿は私の目の前にあった。静寂。そして私は次のような声を聞いた。
エリファズは「こんなすごい霊的体験だったんだから間違いない」といいたげです。
「神様の前では御使でさえ正しくはないんだから、ヨブは罪で苦しんでいるんだ。滅ぼされるよ」とです。
(17-18節)
「人は神の前に正しくあり得ようか。その造り主の前にきよくあり得ようか。
見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、御使いたちのうちにさえ、誤りを認められる。
神様が「悪から離れている」「潔白」とおっしゃっるヨブをエリファズは断罪します。
(18-21)
見よ。神はご自分のしもべさえ信頼せず、御使いたちのうちにさえ、誤りを認められる。
まして、ちりに土台を据えた泥の家に住む者はなおさらのこと。彼らはシミよりもたやすく押しつぶされ、朝から夕方まで打ち砕かれ、永久に滅ぼされて、だれも顧みない。彼らの天幕の綱は確かに取り去られる。彼らは知恵がないために死ぬ。」
僕らは「神様はこうだ」とか、「あなたが悪いことをしたからこうなった」とか言いがちです。でも、神様はおっしゃいます。「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(1コリント8章2節)
今日も僕らの経験や計算による評価は一旦わきに置いて見ましょう。「私の見るところでは」「私の体験によると」は一度撤回してみましょう。
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