ヨブ16章
世界が敵になってしまった時に味方になってくれる人はいるのか?とういうテーマです。
もし、世界中の人があなたを誤解し攻撃してたら、と想像してみてください。
「きっとあいつがウラで悪いことをしてるんだ」「あいつのせいでこうなった」
みんながヒソヒソ話しています。ネットで書かれています。信頼していた友達からも誤解され、家族も離れて行きました。味方になってくれる人は他にいるでしょうか。
苦しいのは、神様も同じように自分の敵になってしまったと感じることです。
神様も自分を責め、自分を苦しめ、見捨ててしまったように感じます。
ヨブは、まさにそのような闇の中にいました。
1 苦しむ人への私たちの態度
ヨブは周りからも神様から捨てられた感覚だけでなく、病気の痛みと痒みで苦しんでいます。
すべての財産を失い、子どもたちが全員即死し、愛する奥さんから責められています。友達は最初は黙って一緒にいてくれけど、今は自分を責めるようになりました。
友人であるエリファズのセリフは強烈です。
(15章20節)
悪しき者は一生もだえ苦しむ。
彼のヨブへの宣告です。お前は悪いから一生悶え苦しむのだ、と言い切ります。
(21節)
その耳には恐ろしい音が聞こえ、平和なときにも、荒らす者が彼を襲う。
(24節)
苦難と苦悩は彼をおびえさせ、戦いの備えができた王のように彼を圧倒する。
最後には、お前が一生悶え苦しむ理由はこうだ、と突きつけます。
(25-26節)
それは、彼が神に対して手向かい、全能者に対して尊大にふるまい、
分厚い盾を取って、傲慢にも神に向かって突き進むからだ。
「お前は神様に向かって戦いを挑む悪い人間だ。神様に向かって突進していくやつだ」と言っているのと同じです。「そうやって傲慢だから一生苦しめられるのだ」と主張します。
でも、ヨブの1-2章を読んだ人ならわかります。
ヨブは神様を愛し、従い、敬ってきたのは本当です。敵対してきたのではありません。
神様ご自身が言っています。しかも、繰り返してヨブが正しく良い人だ、と神様はおっしゃいます。
(1章8節)
「彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」
財産も子どもたちも全てを失った後も、神様はヨブをほめます。
(2章3節)
彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。
ヨブの場合は悪いから災難が起こったわけじゃありません。潔白で、正しい人だったと何度も書かれています。だのに、友人エリファズは「悪しき者は一生もだえ苦しむ。」と責めます。
じゃあ、なぜ、ヨブがこんなに苦しむのでしょうか。
どうしてですか?神様がこの苦しみを許可されたのは事実です。どうしてこんなに良い人が、神様から見てもヨブみたいに悪から離れてる人は世界に他にはいない、っていうくらいの人が苦しむのか?
皆さん、どう思いますか?
色々考えさせられますが、ヨブ記を通して神様が僕らに伝えていることは、
「人間がその限られた小さな理解で決めつけないように」というメッセージです。
理解を超えたことをなさるのが神様です。
3.11の東日本大震災から少し経って、教会の電話に知らない人から電話が来ました。
「牧師さんですか。神様はいますか」「いますよ」
「神様がいるなら、どうしてあんな酷いことを許可するんですか、何万人も死んでるんですよ、酷いじゃないですか」
僕なりに色々聖書を引用して話しましたが、相手は納得せず、ずっとイライラした雰囲気でした。
何を言っても怒りと悲しみはおさまらない感じでした。確かにそうなるよな、とも思います。
聖書は確かに罪によって人は神様の祝福を失ったとはっきり言っています。
罪によって死がこの世界に入ったとも言っています。罪によって病気や人間関係が崩れたともはっきり伝えています。そして自然が人間を苦しめるものになったともあります。
人間が罪を犯して、この世界は呪われてしまった、と創世記の3章にはっきり書いてあります。
旧約聖書も新約聖書も、すべての罪の結果は呪いであり死である、と言っています。
だから、エリファズみたいに、この苦しみは罪の結果なんだ、お前何かやったんだろう、お前は傲慢だから神様からの怒りの災いが注がれたんだ、と教えている面もあります。
でも、神様のなさることはもっと深く高いものです。
エリファズは神様がヨブのことを潔白で正しく、悪から遠ざかっている、とおっしゃってるのを知らない
で、ヨブに説教します。神様のなさることは僕らの思いより遥かに高く大きいものです。
「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55.9)
神学校に行きました。最初に組織神学、って授業がありました。
聖書のトピックを組織的にまとめて学ぶものです。例えば、神様は世界を作った、って箇所はここと、ここと、って聖書全体まとめて学び、
神様は愛の方だってトピックを聖書全体からまとめるような、そうやって分厚い聖書を組織的に分類して学ぶ授業です。一番最初、舟喜順一先生が言ったことが忘れられません。
「私たち人間は神様について、こうだ、とは言えない。」
張り切って神様について学びたい、知りたい、と思って行ったのに、最初の授業がこれでした。
(ローマ人への手紙11章33節-34節)
ああ、神の知恵と知識の富は、なんと深いことでしょう。神のさばきはなんと知り尽くしがたく、神の道はなんと極めがたいことでしょう。
「だれが主の心を知っているのですか。だれが主の助言者になったのですか。
エリファズは自分の知ってる範囲で神様はこうだ、だからお前が苦しむのだ、と小さな経験や判断や知識を振りかざして断言し責め続けます。
そんなエリファズにヨブは答えます。
(16章1-3節)
1,ヨブは答えた。
2,そのようなことは、私は何度も聞いた。あなたがたはみな、人をみじめにする慰め手だ。
3,むなしいことばには終わりがあるのか。
「人をみじめにする慰め手」ヨブを助けるどころか、みじめにするためにやってきたのか。
彼らは、ヨブを慰めるどころか苦しめ続けました。ヨブは言います。「そのようなことは、私は何度も聞いた。」と言います。
3節では、「むなしいことばには終わりがあるのか。」です。
「その中身のない話に終わりはあるのか?次から次へと責めるのは、もうやめてくれないか?」という感じです。
小さな理解で神様はこう、と決めつける説教、これは牧師が気を付けるべきことです。
また、クリスチャン歴が長くて、「わかってる」って思う人ほどわかってません。そう聖書はいいます。
(コリント人への手紙 第一8章1-2節)
1,知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。
2,自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。
ヨブにとって、アドバイスする友人たちは「人をみじめにする慰め手」です。
知識を振りかざして、知ってることを上から説教するなら、そんなの私もできる、と言います。
(4節)
私も、あなたがたのように語ることができる。もし、あなたがたが私の立場にあったなら、あなたがたに向かって私は多くのことばを連ね、あなたがたに向かって頭を振ったことだろう。
自分も苦しむ前は同じように上から責めていたかもしれません。
でも、自分がこんな苦しみを経験したことで、ヨブも物事の見方が変わったようです。
(5)
この口であなたがたを強くし、唇による慰めを惜しまなかったことだろう。
今なら、責めるんじゃなくて、むしろ一緒に苦しむ人として力づけて、慰めてあげるだろう、と言います。
苦しみを通ることで、人への態度が変わることがあります。皆さんはどうですか?
家族を失うことで、もっと愛したかった、もっと大事にしたかったと思うものです。
失うまでは分からなくて、あまり大事にしてなかった、ってことが僕もあります。特に3歳下の弟に対してはそうでした。彼が死んだとき、もっと大事にしたかった、もっと遊びたかった、もっと愛したかった、と思いました。でも、死の苦しみを通るまではわかりませんでした。
経験した人がわかることがあります。
痛みを通ったから、相手の落ち込みが分かることもあります。
ヨブは言います。もし立場が逆だったら「この口であなたがたを強くし、唇による慰めを惜しまなかったことだろう。」
2ヨブの最大の悲しみー神様から苦しめられていること
ヨブが苦しいのは、この苦しみの全てが神様によるもの、ということです。
(7)
まことに神は今、私を疲れ果てさせました。あなたは、私の仲間をみな荒れ果てさせました。
友人から責められるのももちろん苦しいことです。でも、最大の問題、苦しみは神様が自分を攻撃していると感じることです。
苦しみの中でも、神様が私の味方、神様が自分と一緒にいてくださる、という感覚が感じられるなら、
神様が近くにいてくださると感じるなら、苦しくても耐えていくことができます。
でも、神様が自分を憎んでおられて、神様が自分を嫌って攻撃してるように感じたら、どうでしょう。それがヨブの苦しみです。
以前は、神様との間に、あれほど親しい関係がありました。
なのに今は、神様から攻撃されていると感じています。
友人たちが責め立てるんだけど、でも、神様が友人を通して責めているように感じています。
彼は言います。
(9-10)
9,神は激怒して私を攻めたて、私に向かって歯をむき出される。私の敵は私に向かって目を鋭くする。
10,彼らは私に向かって大きく口を開け、そしりをもって私の頬を打ち、こぞって私を攻める。
友達が大きく口を開けて責めています。それは神様が自分の首を掴んで引き摺り回し、そして自分を切り裂いているように感じます。
(11-14)
11,神は私を不遜な者に引き渡し、悪しき者の手に投げ込まれる。
12,私は平穏でいたのに、神は私を引き回された。首筋をつかんで私を粉々にし、そうして、ご自分の標的とされた。
13,その射手たちは私を包囲した。神は私の腎臓を容赦なく射抜き、私の胆汁を地に流された。
14,神は私を打ち、打ち破って、勇士のように私に襲いかかられる。
彼が感じているのは神様によって拷問を受けているかのような感じです。
3 ヨブの本当の理解者はイエス様
彼は絶望と孤独の中で、天の証人を求めます。
辛いのは孤独です。誰も味方がいなくなってしまったことです。神様も自分の敵になってしまったようです。この孤独の中でヨブは本当にこの状況を理解してくれる証人を求めます。
(19)
今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。
(21)
その方が、人のために神にとりなしてくださいますように。人の子がその友のためにするように。
「きっと、他に誰かがいるはずだ。天にいるはずだ。僕の苦しみを見ている方が、知ってくださる方が。」「僕を正しく理解して味方になって祈ってくれる方がいるはずだ。」
これ、僕らが苦しい時に求めている人です。
僕もそうです。痛い時苦しい時、鎮痛剤も欲しいけど、でも理解してくれる人が欲しいです。人から責められている時、この孤独と心の痛みをわかってくれる人が欲しいです。
ヨブを理解し肯定してくれる人は人間の中にはいません。妻も友人もダメです。
それでも、ヨブは自分の「証人は天にいる」といいます。天に保証人がいる、と言います。
21節では「人のために神にとりなしてくださいますように。人の子がその友のためにするように。」
新約聖書を知っている僕らは、イエス様が人から捨てられ、十字架の上で神様からも捨てられる苦しみを通ってくださったことを知っています。
イエス様が今も僕らの全てを知って、天で祈ってくださる大祭司であることを知っています。
すべての人から誤解されても、捨てられても、僕らのことを友と呼んでくださることを知っています。
ヨブは、イエス様がこの地上に来られるずっと前の時代を生きた人です。
だから、ヨブがここで直接イエス様のことを預言している、簡単に断定することはできません。
それでも、ヨブは天に私を知ってくれる証人がいる。私のために祈ってくれる方がいる、と言います。
自分の苦しみを本当に知っている方。
自分のことを誤解せず、真実を知っている証人。保証人。です。
(19)
今でも、天には私の証人がおられます。私の保証人が、高い所に。
(21)
その方が、人のために神にとりなしてくださいますように。人の子がその友のためにするように。
自分の味方となって、神様にとりなしてくださる方です。
イエス・キリストは、私たちのためにとりなしてくださる大祭司であり、御父のもとで私たちを弁護してくださる方です。
イエス様だけが僕らの孤独、痛みも、苦しみも、残酷な扱いも、理解してくださる唯一の方です。保証人。証人と言います。天で僕らの無罪を保証してくれるのがイエス様です。
僕らは新約聖書が与えられ、新約聖書によって旧約の意味が明らかにされています。
イエス様は罪のある私たちを愛し、十字架の呪いを終えて無罪としてくださり、それを保証し、執り成しの祈りをするため、いつまでも生きておられると書いてあります。
(ヘブル7.25)
(キリストは)いつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
(ヨハネの手紙第一 2.1)
もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエスキリストがおられます。
これは、イエス様は、あなたがどんな状態でも、あなたのために祈ることを決してやめない、ということです。何をしてても、僕らが忘れていても、変わらず祈ってくださっています。あなたが寝ている時もイエス様は祈ってくださっています。
あなたが苦しめられ、誤解され、病気になり、お金がなくなり、家族がバラバラになったとしても、
イエス様は、あなたを弁護することを決してやめない方です。あなたを守ることを決してやめない、愛することを決してやめない方です。
しかも、ヨブのような苦しみを誰よりも理解して共感してくださる方です。
ヨブは何も悪いことしていないのに、笑いものとされ、 唾をかけられるものとなりました。その姿はまるでイエス様です。
(17章6-7節)
神は私を人々の笑いものとされ、私は顔に唾される者となった。
私の目は苦悶でかすみ、私のからだはどこも影のようだ。
イエス様が人として生まれたのは、私たちと同じ存在になり、同じ苦しみを体験するためです。孤独と苦しみに同じようになるためです。
イエス様は私たちの苦しみを理解するために、あえて肉体を持って人としてお生まれになりました。
人に受け入れられない家畜小屋で生まれ、誰よりも弱く貧しい人たちと連帯されました。
上から見ているだけでなく、弱い僕らと一緒になってその苦しみを背負い、死んでくださる方です。罵られる側、殺される側、裁かれる側となってくださいました。
ヨブの苦しみはイエス様が苦しまれた姿と重なります。
(ヨブ記16章10節-11節)
10,彼らは私に向かって大きく口を開け、そしりをもって私の頬を打ち、こぞって私を攻める。
11,神は私を不遜な者に引き渡し、悪しき者の手に投げ込まれる。
これを読んで、イエス様が十字架にかかられる前に、兵士たちや大祭司のしもべたちから殴られた姿を思い浮かべる。イエス様に対して実際に行われたことです。
人々はイエス様を取り囲み、大勢で一緒になって敵対しました。
ヨブがここで厳密な意味でイエス様を預言してます、ってわけじゃないけど、ヨブの苦しみと重なっているのは事実です。
(16.9)
神は激怒して私を攻めたて、私に向かって歯をむき出される。私の敵は私に向かって目を鋭くする。
神の怒りによって引き裂かれ、神に憎まれているように感じています。
イエス様は潔白です。だのに、罪人と同じように、神様に打たれ、苦しめられる経験をされた方です。
イエス様だけがヨブを理解してくださる方です。ラクなところから見物していたのではなく、苦しむ人そのものとなって一緒にもがいてくださった、ってことです。
(ヘブル人への手紙 2章18節)
イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。
拒絶され、裏切られ、誤解され、不当な扱いを受け、肉体的な痛みを受け、そして、死んでくださったかたです。だからこそ、苦しんでいる私たちと連帯してくれる大祭司と書かれています。
罪のある私たちなのに、イエス様が義と認めてくださり、罪なし、と言ってくれて、今日も私たちのためにとりなしてくださってます。祈ってくれてます。これが福音です。
僕も皆さんも人から責められることがあります。
誤解されることもあります。
自分のことを分かってもらえず、罪に定められたように感じることもあります。
最近、苦しかったことはなんですか?
最近責められたり、誤解されたことはんですか?
でも、イエス様はそれを知って、すべての罪を赦し義と宣言してくださっています。
(ローマ8:33-34)
神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
イエス様、という一人の証人がいてくださるなら、千人の証人がいるのと同じです。
周りの人が必ず理解してくれるとは限りません。
誰も味方になってくれないと感じることもあります。それでも
イエス・キリストは、その悲しみと孤独を知っておられます。
誰からも拒絶され、裏切られ、不当な扱いを受け、十字架で苦しまれた方です。
イエス様だけは僕らを見捨てません。
僕らが自分の言葉で祈れなくなっても、イエス様は僕らのためにとりなしてくださいます。今日も味方になって祈ってくれています。
この方がおられること。それが、苦しみの中にある僕らの希望です。
次に歌う歌は「みまえに立つ時」です。これはこのメッセージを要約したような歌詞です。
応答として祈りとしてささげましょう。
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