2022年12月14日水曜日

ヨハネ12.39-43

 ヨハネ12.39-43


誰がイエス様を信じるか、信じないか、これは神様の選びによることですいくら聖書の話を聞いても読んでも神様がその人の心を開いてくださらないなら、その人はわからないままです。この当時、イエス様と直接会ったり話を聞いたり奇跡を見たりしても信じない人がたくさんいました。それは神様がその人の心を閉ざしていたからです


(39-40)

イザヤはまた次のように言っているので、彼らは信じることができなかったのである。

「主は彼らの目を見えないようにされた。また、彼らの心を頑なにされた。彼らがその目で見ることも、心で理解することも、立ち返ることもないように。そして、わたしが彼らを癒やすこともないように。」


人が信じたり、信じなかったりすることは神様が決めることです信じるかどうかは神様の領域です


けれども、信じた人がイエス様を愛するかどうか、従うかどうかは自分で決めることです。それは自由ですユダヤ人の議員たちは権力者でしたが彼らの中にはイエス様を信じる人たちが多くいました。でも、彼らは自分の立場が危うくなることを嫌い、イエス様を告白しませんでした。


(42-43)

しかし、それにもかかわらず、議員たちの中にもイエスを信じた者が多くいた。ただ、会堂から追放されないように、パリサイ人たちを気にして、告白しなかった。彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したのである。


「神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛し」がちな僕らですイエス様を愛し従うことは自由です。自由ですが、愛し、選び、従うならばすごく大きな祝福が約束されています。もし、イエス様をカミングアウトしたことで失職したとしても、神様はもっと多くの祝福を約束してくださっています。イエス様は「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。」「わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」とおっしゃいました。(25-26)

たとえこの世の宝や人間関係を失ったとしても、その何倍も祝福されることは聖書に繰り返されています。


(マタイ19:29)

また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。


(マタイ5:11-12)

わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです

喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。


今日、人のことばや人からの栄誉でなく、神様に喜ばれ、神様からの栄誉を選びますように。そして予想を超えた天の祝福と喜びの中を歩むことができますように。ハレルヤ!


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