聖書は「人に従うより神に従うべき」と言います。(使徒5:29)でも、この世は「神に従うより人に従うべき」と言います。僕らは神様よりも人に気に入られることを求めがちだし、影響力の強い人を神様よりも上に置きがちです。
トビヤはエルサレムの城壁再建をあらゆる方法で妨害した人です。工事をやめさせるための脅しも使いますが(6.19)、時にはお金で人を買収したり(6.12)、時には良さそうな理由をつけて妨害しようとした人です。(6.2)なんと彼は祭司エルヤシブと親しくすることに成功し、祭司エルヤシブは神様よりもトビヤを優先するようになっていきます。
指導者ネヘミヤがいた時には、それを見抜いて対抗できたのですが、ネヘミヤがエルサレムを離れた途端にトビヤは神殿の一部屋を自分の部屋にすることに成功します。祭詞エルヤシブは上手に取り入ってくるトビヤと親しくなり、麻痺させられて神様よりもトビヤを重んじてしまいます。神よりも彼に従い、神殿の部屋さえも与えてしまいました。
(4-5)
これより以前、祭司エルヤシブは、私たちの神の宮の部屋を任されていて、トビヤと親しい関係にあったので、トビヤのために一つの大きな部屋をあてがっていた。以前その部屋は、穀物のささげ物、乳香、器、またレビ人や歌い手や門衛たちのために定められていた、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一、さらに祭司のための奉納物を保管するところであった。
エルヤシブは働き人のための物の部屋をトビヤの部屋にしました。その結果、レビ人たちの生活費は支給されなくなり、礼拝は軽んじられ、奉仕者は自分の農地に逃げ去ってしまいました。
(10-12)
また私は、レビ人の分が支給されていなかったために、務めに当たるレビ人と歌い手たちが、それぞれ自分の農地に逃げ去っていたことを知った。私は代表者たちを詰問し、「どうして神の宮が見捨てられているのか」と言った。そして私はレビ人たちを集め、元の職務に就かせた。ユダの人々はみな、穀物と新しいぶどう酒と油の十分の一を貯蔵庫に持って来た。
これを知ったネヘミヤは怒ってトビヤの部屋からすべてのものを放り出し、部屋を取り戻します。
(7-8)
そのとき私は、エルヤシブがトビヤのために行った悪、すなわち、神の宮の庭にある一つの部屋を彼にあてがったことに気づいた。私は大いに気分を害し、トビヤ家の家財をすべてその部屋から外へ放り出し、命じて、その部屋をきよめさせた。そして私は、神の宮の器を、穀物のささげ物や乳香と一緒に再びそこに納めた。
今も僕らの問題は聖書の基準よりも人間的な都合や好みを優先し、影響力の強い人を優先してしまうことです。
神様よりも人が優先される時に、神様を礼拝することは軽んじられ、賛美は消えてしまいます。
イエス様は「御名が聖とされますように」と祈るようにおっしゃいます。(マタイ6.9)それは神様のみこころが優先され、神様が王とされますように、という願いです。
自分に聞いてみましょう。神様よりも重んじている人(もの)はいるでしょうか。その結果、神様が後回しにされ、讃えられず、礼拝されなくなってしまっていることはあるでしょうか。
今日も僕らが人よりも神に従いますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿