神様のことばを聞かない人はいつも自分の考えや不安に縛られます。何度も神様の奇跡を体験したはずのイスラエルの民でさえ、「あなたがたを乳と蜜の流れる地に導き入れる」という神様のことばを忘れて「きっと悲惨なことが起こる」と決めつけ悲しみます。
(1-4)
すると、全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。イスラエルの子らはみな、モーセとアロンに不平を言った。全会衆は彼らに言った。「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。」そして互いに言った。「さあ、われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」
神様のことばを忘れ、自分の悲惨な妄想に縛られる彼らはかなりガンコです。そんな中、神様のことばを信じよう、と励ます人(ヨシュアとカレブ)もいます。が、縛られている人たちは完全に神様を忘れ、モーセを完全に無視して「われわれは、かしらを一人立ててエジプトに帰ろう。」とさえ言うし、人々を励ますヨシュアやカレブを「二人を石で打ち殺そう」とさえ言い出します。
(6-10)
すると、その地を偵察して来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフンネの子カレブが、自分たちの衣を引き裂き、
イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。
もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。
ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。
神様よりも自分の不安を絶対化する罪はかなり根づよいものがあります。不思議なことに彼らは今まで神様が良くしてくださった体験を全部忘れています。そんな彼らを神様は怒り、さばきます。
(11-12)
主はモーセに言われた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じようとしないのか。わたしは彼らを疫病で打ち、ゆずりの地を剝奪する。
(22-23)
わたしの栄光と、わたしがエジプトとこの荒野で行ったしるしとを見ながら、十度もこのようにわたしを試み、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、だれ一人、わたしが彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない。わたしを侮った者たちは、だれ一人、それを見ることはない。
このガンコさが僕ら人間の実態です。「モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏した。」(5)とあります。彼らは頑固になってしまった人たちの代わりにひたすら赦しを願いました。
(18-19)
『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。
この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。」
ガンコな僕らのためにイエス様が今日もとりなし、祈ってくださっています。そして、イエス様の祈りと流された血のゆえに僕らは赦されます。そして、神様のことばは僕らのガンコな心を新しくしてくださいます。
僕らはいつも自分たちの想像、空想に縛られる誘惑にあっています。「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」と聖書は言います。(2テモテ4.4)僕らを妄想や頑固さから守り、育て、神様に喜ばれるように成長させてくれるのは真理のみことばです。「みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒20.32)今日も自分が作り上げた悪い想像から解放され、神様のことばによって希望を持って歩めますように!
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