僕らは自分のことは自分で決めることができます。神様のロボットではありません。反抗するのも自由です。神様はイスラエルに「乳と蜜の流れる地に導き入れる」と何度もおっしゃいましたが、彼らはみんな「われわれはエジプトの地で死んでいたらよかった。あるいは、この荒野で死んでいたらよかったのだ。」(2節)と反抗します。そう言うのは自由だしその通りに神様は荒野で死ぬようにされます。神様は人間の自由意志を尊重されます。
(28-30)
わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、おまえたちを住まわせるとわたしが誓った地に、だれ一人入ることはできない。(…中略…)おまえたちはこの荒野に屍をさらす。
(35)
主であるこのわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ずこうする。この荒野で彼らは死に絶える。
神様はイスラエルを愛し、イスラエルが祝福と平安の中を歩むように語りかけてくださっています。与えようとしてくれた土地は素晴らしく、問題なく進めば40日で到着する場所でした。ところが40年間その土地には導かれずに荒野を放浪し、お望み通りにその間に全員が死に絶えます。彼らが「この荒野で死んでいたらよかった」と言った通りです。子どもの世代が約束の土地に入ることになりました。
(34-35)
おまえたちが、あの地を偵察した日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間おまえたちは自分の咎を負わなければならない。こうして、わたしへの反抗が何であるかを思い知ることになる。主であるこのわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ずこうする。この荒野で彼らは死に絶える。
僕らは自由を与えられています。神様に反抗するのも自由です。神様は望み通りにさせてくれます。イエス様を信じ、神様の近くにいたいと願う人はその通りに、永遠に神様とともにいることができます。その人は祝福と喜びと栄光が与えられます。イエス様を拒み、神様を拒むのも自由です。その人は望みどおり神様から引き離されます。しかも永遠にです。
特に悪い人は人々を神様から引き離すようにさせる人です。イエス様はおっしゃいました。
(ルカ17.1-2)
つまずきを起こさせる者は、忌まわしいものです。この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。
神様が与えてくれる素晴らしい土地をを悪く言いふらし、人々を信じなくさせた人たちはすぐに神様に裁かれて殺されてしまいました。
(36-37)
また、モーセがあの地の偵察のために遣わした者で、帰って来て、その地について悪く言いふらし、全会衆にモーセに対する不平を言わせた者たちもだ。」こうして、その地を悪く言いふらした者たちは、主の前に疫病で死んだ。
僕らは神様に従うも反抗するも自由です。でも、従った方が絶対にいいです。逆らう人は神様からの祝福と喜びを自分からゴミ箱に捨てるようなものです。僕らが今日も神様のみことばを聞き、従う祝福を選びますように。
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