2023年1月9日月曜日

ルカ11.1-13

 イエス様は「求めなさい。そうすれば与えられます。」とおっしゃいます。(9節)だのに、僕らは神様にちゃんと求めないで自分で何とかしようとしがちです。「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。」と聖書は言います。(ヤコブ4.2)面倒くさがる友人でさえ、しつこく願うなら与えてくれるのなら、まして神様は必ず与えてくださる、とイエス様は言われました。


(5-8)

また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうちのだれかに友だちがいて、その人のところに真夜中に行き、次のように言ったとします。『友よ、パンを三つ貸してくれないか。友人が旅の途中、私のところに来たのだが、出してやるものがないのだ。』すると、その友だちは家の中からこう答えるでしょう。『面倒をかけないでほしい。もう戸を閉めてしまったし、子どもたちも私と一緒に床に入っている。起きて、何かをあげることはできない。』あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。


寝る準備をし、面倒な戸締りをし、たくさんの子どもを寝かしつけた後にしつこくノックしてくる友人はうっとうしいものです。それでも、何度もしつこく声をかけてくるのなら、必要なものを与えます。うるさいからです。面倒くさがる人間でさえ動いてくれるのなら、愛と恵みの神様は必ず動いてくださいます。神様はしつこい祈りを追い払うことはありません。必ず聞いて答えてくださいます。しかも「求める者にはだれにでも」です


(9-10)

ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。


悪い親でさえ、自分の子どもには良いものを与えたいと思っています。だったら神様は最高のものをくださいます。


(11-13)

あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」


神様が与えてくださる最高のものとは聖霊です。僕らは聖霊によって、「アバ(パパ)父。」と呼びます。(ローマ8.15)神様は最高のパパです。天のパパは何でも僕らの言いなりになる、ということではありません。愛する子どもに何が必要であるかを考え、最高なものを必要な時に与えようとします。今はあたえるべきでない、今はその時でないと考えれば、「だめ」と言い、忍耐させて下さいます。それが本当に子どもを愛する天のパパです神様は欲望をなんでもかなえる自動販売機ではありません。僕らが神様に祈り求めるなら、神様が本当に生きて働いておられる愛のパパであることがわかります。


今日も祈り求めましょう。神様は生きておられ、僕らに関わろうと待っていてくださいます。ハレルヤ!


(エレミヤ 29:12-14) 

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。

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