2023年1月4日水曜日

エレミヤ16章

神様は僕ら人間を結婚するように造り、「人が、ひとりでいるのは良くない。」(創世記2.18)とも、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。」とも言われました。(創世記1.28)ところが、苦難や災いが迫っているのがわかっている時には正反対のことが書かれています。結婚するな、子どもを持つな、ですエレミヤの時代がそうでした。間もなく神様の怒りと裁きによって国中が虐殺が起こることがわかっています。だから今は結婚するな、と言われています。


(1-4)

次のような主のことばが私にあった。「あなたはこの場所で、妻をめとるな。息子や娘も持つな。」まことに主は、この場所で生まれる息子や娘について、また、この地で彼らを産む母親たちや、彼らをもうける父親たちについて、こう言われる。「彼らはひどい病気で死ぬ。彼らは悼み悲しまれることなく、葬られることもなく、地の面の肥やしとなる。また、剣と飢饉で滅ぼされ、屍は空の鳥や地の獣の餌食となる。」


国中に死体が放置され、葬儀さえ行われない時代が来ると神様は言われます。地上に楽しみや喜びが無くなる時代が目の前だからです


(6-9)

この地の身分の高い者や低い者が死んでも葬られず、だれも彼らを悼み悲しまず、彼らのために身を傷つけず、髪も剃らない。死者を悼む人のために、葬儀でパンが裂かれることはなく、父や母の場合でさえ、悼む人に慰めの杯が差し出されることもない。あなたは弔いの宴会の家に行き、一緒に座って食べたり飲んだりしてはならない。」まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。「見よ。わたしはこの場所から、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声を絶えさせる。あなたがたの目の前で。あなたがたが生きているうちに。」


人々はエレミヤに「どうしてそんなひどい預言をするのか?そんなことが起こるのか?私たちが何か悪いことをしたのか?」と詰め寄り、聞きます。(10節)神様は次のように答えるように言います。


(11-13)

あなたは彼らにこう言え。『あなたがたの先祖がわたしを捨て──主のことば──ほかの神々に従い、これに仕え、これを拝み、またわたしを捨てて、わたしの律法を守らなかったことだ。さらに、あなたがた自身が、自分たちの先祖以上に悪事を働き、しかも、見よ、それぞれ頑なで悪い心のままに歩み、わたしに聞かないでいる。それで、わたしはあなたがたをこの地から放り出し、あなたがたも先祖も知らなかった地に行かせる。あなたがたは、そこで昼も夜も、ほかの神々に仕える。わたしはあなたがたに、いつくしみを施さない。』


神様はイスラエル人たちを祝福するために作り、幸いを与えるために律法を与えました。神様に従うところには喜びと楽しみがあります。(詩篇16.11、申命記30.19など多数)神様を捨てて悪に従うことは自分から楽しみと喜びを捨てて呪いと苦しみを選ぶのと同じです。彼らはお望み通り「昼も夜も、ほかの神々に仕える」ようになります。(13節)他の神々を好んで仕えた結果は悲惨な体験でした。


(18)

わたしはまず、彼らの咎と罪に対し二倍の報復をする。彼らがわたしの地を忌まわしいものの屍で汚し、忌み嫌うべきことで、わたしが与えたゆずりの地を満たしたからである。」


神様を選ぶか、悪を選ぶかは僕らの自由です悪を選ぶなら悪に縛られ奴隷状態になります。(ガラテヤ4.8、ローマ6.16)イスラエル人たちは彼らの選んだ罪ゆえに大虐殺を経験し、結婚も子どもを持つことも悲惨でしかない時代を通ります。しかし、苦しみを通ったことは彼らに罪の大きさを知らせました。そして神様を捨てることがどんなにバカなことだったか、そして偶像を愛することが何も役に立たない虚しいものだったかを知ることになります。彼らは苦しみを通って初めて罪を知り、それをやめて神様に戻ります。


(19-21)

「主よ、私の力、私の砦、苦難の日の私の逃れ場よ。あなたのもとに、諸国の民が地の果てから来て言うでしょう。『私たちの父祖が受け継いだものは、ただ偽りのもの、何の役にも立たない空しいものばかり。

人間は、自分のために神々を造れるだろうか。そのようなものは神ではない』と。」「それゆえ、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手、わたしの力を知らせる。そのとき彼らは、わたしの名が主であることを知る。」


僕らも自分の犯した過去の罪ゆえに苦しむことがあります。でも、それは後悔して自分を責め続けるためではありません。悪魔は人を告発し続けるのが大好きです。(黙示録12.10)悪魔は責めつづけます。反対に、聖霊様は僕らに罪を知らせますがそれは責めるためではなく、悔い改めて赦され新しくされるためです。(ヨハネ16.8)罪を認め方向転換した人はイエス様によって完全に赦されきよめられています。(1ヨハネ1.8-9)悔い改めて福音を信じた僕らは聖霊によって新しいなりました。(2コリント5.17)もうクヨクヨする必要はありません。


結婚は神様に似せて作られた人が、神様の栄光と愛を地上で現すための奥義です。(エペソ5.30-31)でももし、そこにイエス様の赦しや聖霊の愛が現れなければ、自分の罪で相手を苦しめ、相手の罪で自分が苦しめられるだけのものになってしまいます。イエス様による赦しと愛がなければエレミヤの時代と同じく「あなたはこの場所で、妻をめとるな。息子や娘も持つな。」です(1)


僕らの歩みが今日もイエス様の赦しと愛と恵みの中でありますように。大きな罪が赦されたことを感謝して互いに愛し仕え合うものでありますように。

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