2023年1月23日月曜日

エペソ2.1-22

 恥ずかしい話ですが、クリスチャン歴が長くなると、「あの人は立派な人」「あの人はそうでもない人」というランク付けみたいなものが発生しがちですしかも自分のことを立派な人みたいに思っちゃいます。聖書はそんな勘違いをちゃんと直してしてくれます。どの人ももれなく、全員、神様の怒りを受けるべき人だったし、肉欲のままに生きて死んでいくだけでした。そんな僕らが神様と出会い、新しく変えられ愛される子どもとされ、今感謝と希望の中に生きているのは100パーセント神様のめぐみと憐れみです。「誰も自慢しないように」と聖書は言います。


(3-5節)

私たちもみな(…中略…)かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです


(8-9節)

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのですそれはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです


僕らの将来は墓場に向かうだけでした。ところが今は永遠の命を頂くだけでなく、神様の家族として神様の栄光や富や力を相続することになっています。まるで次期社長か、次期の大臣に就任決定しているみたいです。そのことを聖書は「神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。」(6節)と表現し、また、「もし子どもであるなら、相続人でもあります。(…中略…)私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ8.17)この身分をいただいたこと全部、神様のめぐみです


ユダヤ人は「私たちこそ神様の家族、相続人」という誇りがあり、「神様の律法を守っている私たちは立派な人」という誇りがあります。それで、律法を知らない異邦人を「見捨てられた人、除外された人」と見下していました。ところが聖書は「ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にある」と言います。(ローマ3.9)だから、神様が愛し、選ばれた人たちとは、立派な行いをする人ではなく、イエス様がその神様の怒りを身代わりに十字架の上で引き受けてくれた人たちです


当時の人たちは「あの人はユダヤ人」「あの人は異邦人」というように人種でランク付をしていたようです。僕らはあの人は立派な人」「あの人はそうでもない人」というランク付けをしがちですもっと恥ずかしいのは同じクリスチャン同士がランク付けをし合っていることです。聖書によると、僕らが愛され救われたのはただ、イエス様が十字架で血を流してくださったからですイエス様の十字架の処刑以外に救われる方法はありません。これが唯一の福音(良い知らせ)です。受け入れられ、祝福されるのは○○人だから、とか長く教会に通ってるから、とか、いい人だから、という理由でなく、イエス様が血を流して赦し受け入れてくださったからですイエス様の十字架の前にひざまずいて感謝する時、あの人がどう、この人がどうなんて裁き合いランク付けしてた自分が恥ずかしくなります。

イエス様の十字架の前にひざまずく人同士には敵も味方もありません。まして○○人だから、とか、○○派だからと言った差別や敵意はありません。


(13-16節)

しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。

実に、キリストこそ私たちの平和ですキリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、

様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。


昔も今も、いろんなことが僕らの間の亀裂となり、裁き合い、憎しみ合う原因になります。「敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派」は聖霊の実ではなく、罪と肉欲の実です。(ガラテヤ5.20)ただ、キリストの十字架の犠牲によってだけ僕らは神様に受け入れられました。あなたも赦された罪人、私も赦された罪人ですキリストの十字架の前にひれ伏すことだけが僕らを一つにします。


(18-22)

このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです

使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石ですこのキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。

あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです


(ガラテヤ3.28)

ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです


今日も僕らがイエス様の十字架の前にひざまづいて感謝する日でありますように。イエス様によって赦され受け入れられた世界中の、しかもタイプの違う信仰の家族を感謝する日でありますように。ハレルヤ!


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