僕らの罪に対して神様の怒りはあるし、罪人である僕らは滅ぼされても文句は言えない立場です。
だのに、神様が祈りに答えてくださったり、すぐに裁かないで待っていてくださるのは神様の恵みと憐れみです。僕らがクリスチャンとして赦されて喜んで生きているのは憐れみです。威張ることはできません。
イスラエルの王エホアハズは神様が悲しまれる「ヤロブアムの罪を犯し続け、それから離れなかった。」とあります。(2)
この罪は金の子牛を礼拝し、律法を無視して一般人を祭司にするというめちゃくちゃなものです。そのような先輩の悪を100年経っても受け継いでいるのがエホアハズ王です。神様の怒りは燃え上がったと書かれています。
(1-3)
ユダの王アハズヤの子ヨアシュの第二十三年に、エフーの子エホアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間、王であった。彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続け、それから離れなかった。そのため、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダドの手に絶えず渡しておられた。
いまだに金の子牛を拝み、勝手な偶像礼拝をし、その結果として神様は彼らを怒り敵国(アラム)にいつも攻撃されていました。
だのに、そんな彼らなのに神様は祈りを聞いてくださいます。神様は怒りつつ悲しみつつ、それでも彼らが神様に心を向けることを喜んで聞いてくださいます。これは驚きです。
(4-5)
しかし、エホアハズが主に願ったので、主はこれを聞き入れられた。アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。
主がイスラエルに一人の救う者を与えられたので、彼らはアラムの支配を脱した。こうしてイスラエル人は以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。
何度も裏切って来たのに、神様は祈りに答えてくださり、イスラエルを助けてくださいました。こんなにまで忍耐して愛してくださっているのに、それでも彼らは恩を忘れて偶像に戻ってしまいます。本当に愚かな姿が書かれています。
(6-7)
それにもかかわらず、彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪から離れず、なおそれを行い続け、アシェラ像もサマリアに立ったままであった。
また、アラムの王が彼らを滅ぼして、打穀のときのちりのようにしたので、エホアハズには騎兵五十、戦車十、歩兵一万の軍隊しか残されていなかった。
彼らが滅んでしまわなかったのも、僕らが生かされているのも神様の憐れみです。
(23)
主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで、御顔を背けて彼らを捨てることはなさらなかった。
僕らは滅ぼされても文句は言えない立場です。今日も神様は待っていてくだいます。その裁きはイエス様が受けてくださり、犠牲となってくださいました。誰も威張ることはできません。ただ感謝しかありません。
(哀歌 3:22)
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
今日も感謝しましょう。主のあわれみは尽きることがありません。
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