2023年1月4日水曜日

エレミヤ22.1-17

 神様は人間を介さなくても貧しい人を助けることができます。ですが、神様は僕ら人間を互いに助け支えあうように造られました。

特に王様などの支配者は貧しい人を愛し助けて正しく裁く神様の代行者としての役目を与えておられます。「異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。」(マタイ20:25-26


王様が任命されることは神様からこの役目が与えられることでした。神様と親しい関係をもつ王は貧しい人を愛します。これは王にとっても国にとっても幸福ですヨシヤという王様はそのように人に仕えて幸福でした。


(16)

虐げられた人、貧しい人の訴えを擁護し、彼は、そのとき幸福であった。それが、わたしを知っていることではないのか。──主のことば──


ところがヨシヤ王の息子のエホヤキム王は神様から背き、自分の利得ばかりを考え人を利用し、暴虐を行い、人をただで働かせて自分は最高の家に住み、貧しい人を顧みることもありませんでした。


(13-15)

「わざわいだ。不義によって自分の家を建て、不正によって自分の高殿を建てる者たち。隣人をただで働かせて報酬も払わず、

『私は自分のために、広い家、ゆったりとした高殿を建てよう』と言い、それに窓を取り付けて、杉の板でおおい、朱を塗る者は。


17

しかし、あなたの目と心は、自分の利得に、さらには、咎なき者の血を流すこと、虐げと暴虐を行うことにだけ向けられている。


そんな王に神様は警告します。


(3) 

主はこう仰せられる。公義と正義を行ない、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない。


貧しい人を愛する神様を無視するなら国は廃墟とされます。


(4-7)

もし、あなたがたがこのことばを忠実に行うなら、ダビデの王座に着く王たちは車や馬に乗り、彼らも、その家来も、またその民も、この家の門の内に入ることができる。しかし、もしこのことばを聞かなければ、わたしは自分にかけて誓うが──主のことば──この家は必ず廃墟となる。』」(…中略…)必ず、わたしはあなたを荒野にし、住む人もいない町々にする。わたしはあなたを攻めるために、それぞれ武具を持つ破壊者たちを取り分ける。彼らは、最も美しいあなたの杉の木を切り倒して火に投げ入れる。


この当時のエルサレムは破壊されました。周りの国々の人たちはその理由は『彼らが彼らの神、主の契約を捨て、ほかの神々を拝み、これに仕えたからだ。』と言います。(9)その通りです


これは僕らにも適用できます。神様から心が離れると互いに反目したり、弱い人を大事にしなかったりします。つまり神様との関係は隣人や仲間、特に弱い兄弟姉妹との関係に現れます。それはイエス様の愛を表すからです教会が互いに犠牲を払って愛し合うことができるのは、イエス様の御霊を与えられているからです神様との関係を捨てると神様以外に仕え、自分の利得に仕えます。僕らと神様との関係は人との関係に現れます。イエス様は自分の利得で動いたのではなく、弱い人たちのためにご自分を犠牲にして愛してくださいました。そのイエス様の御霊を僕らは与えられています。


(ローマ 15:1-3

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです自分を喜ばせるべきではありません。

私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです

キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです


(1ヨハネ5.1-2)

イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです


今日も僕らがイエス様の御霊で満たされますように。イエス様の愛を行動で表す教会でありますように。

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