エルサレムは神様を礼拝するための神殿があった場所です。人間が神様を愛し礼拝し感謝することは神様にとっても人間にとっても喜びです。夫婦が愛し合う以上に、親子が愛し合う以上に、親友同士が喜び合う以上に、人間が神様を愛し賛美し礼拝することは天の喜びです。
罪があり不完全になってしまった僕らですが、それでも神様との喜びの関係を回復途中です。もともと、人間は神様と愛し合い祝福し合い喜び合うように作られました。神様は人間を赦し受け入れ交わる場所としてまずシオン(エルサレム)を選ばれました。神様にとってシオンは喜びの場所です。
(1-3)
主の礎は聖なる山にある。主はシオンの門を愛される。ヤコブのどの住まいよりも。神の都よあなたについて誉れあることが語られている。
神様は最初にイスラエル人たちを選び彼らを祝福されました。イスラエル人たちは神様の子どもであり、神様の家に生まれた祝福された人たちです。
そしてなんと!あらゆる国の人たちが同じくこの祝福の子どもとして招かれています。
(4-5節)
「わたしはラハブとバビロンをわたしを知る者として記憶しよう。見よペリシテとツロクシュもともに。『この者はこの都で生まれた』と。」しかしシオンについてはこう言われている。「この者もあの者もこの都で生まれた。いと高き方ご自身がシオンを堅く建てられる」と。
4節にあるラハブはカナン人、バビロンもペリシテもツロクシュも全部神様に敵対していた人たちです。
だのに、神様は彼らを招き、まるで自分の家の子どものように『この者はこの都で生まれた』と言ってくださいます。僕ら日本人も同じです。どんなに神様に敵対してた人であってもイエス様を信じる人は神様の子どもとして新しく生まれた人です。
(ローマ 9:26)
『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。」
(ガラテヤ3:26)
あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。
僕ら日本人もどんなに神様に敵対していたとしてもイエス様を信じた時に新しく神様の子どもとして生まれます。イエス様は「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることはできません。」とおっしゃいました。(ヨハネ3:3,5)信じた僕らは神様の都で生まれた人として登録されます。信じた僕らの国籍は神様籍、天国籍です。
(6-7)
主が「この者はこの都で生まれた」と記して国々の民を登録される。
歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります」と言う。
神様の子どもとして新しく生まれた人は、力も命も神様から出てきます。今までの自己努力型の力の出どころとは全然違います。それは神様から出る新しい命の泉です。僕らは神様の子どもとして新しくされました。神様との交わりには喜びがあり歌があり踊りがあります。神様との愛の交わりは僕らが思うより全然楽しく喜びと力に満ちたものです。今はまだ不完全で実感に乏しいかもしれません。でも事実は僕らは神様との愛の交わりがスタートしています。礼拝することは神様の喜びです。そして僕らにとって喜びます。まさに歌う者も踊る者も「私の泉はみなあなたにあります」と言うのが礼拝です。ハレルヤ!
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