僕は昔「教会ってどうせお金目的でしょ」「信徒を増やしたいのは献金を増やしたいからでしょ」と思っていました。ところが、阿部牧師(僕の師匠です)と初めて会った時、がボロボロの三畳の書斎で仕事をし、狭くて古い教会堂で喜んでいるのを見て、「この人、お金のためにやってない、というか全然儲かってない…」とイメージが変わりました。
パウロは自分の財産を使い果たして彼らを成長させようとしていましたが、「パウロは献金をだまし取っている」と批判されていました。コリント教会はパウロがアルバイトをしながら育てた教会です。教会の人たちからは一切お金をもらっていませんが、それでも悪口を言われていたようです。
16 あなたがたに重荷は負わせなかったにしても、私は、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったのだと言われます。
パウロにとって、コリント教会の人たちはまるで自分の子どもたちのようです。財産が目的なのではありません。全てを捨てても彼らを愛し霊的に育てたいと思っています。親は子どもたちのための喜んで財産を使います。また、どんな犠牲でも払います。そのようにパウロはあらゆる犠牲を払って教会の人たちを愛していました。
14 あなたがたに負担はかけません。私が求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のためにたくわえる必要はなく、親が子のためにたくわえるべきです。
15 ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はいよいよ愛されなくなるのでしょうか。
パウロが求めていることは、子どもたちの成長です。彼らがイエス様によって成長し、罪をやめ、イエス様に喜ばれることです。決して彼らの持ち物が目的なのではなく、彼ら自身の存在が喜びです。たとえ、彼らに愛されなくても、悪く言われても、彼らが成長するためなら、パウロは全てを捧げていました。
19 私たちは神の御前で、キリストにあって語っているのです。愛する人たち。すべては、あなたがたを築き上げるためなのです。
教会の人たちがイエス様によって育つことは、牧師にとって喜びです。全てを使い果たしても一人一人の成長を喜ぶパウロは牧師の模範です。もし、牧師の求めていることが人数の増加、教会堂の建設、献金の増加、名声などであれば、親切に指導していたとしても、求めているものは自分の栄光です。
パウロはひたすら、彼らがイエス様によってきよめられて成長することを願っていました。また、そうでないことを心配していたようです。
20 私の恐れていることがあります。私が行ってみると、あなたがたは私の期待しているような者でなく、私もあなたがたの期待しているような者でないことになるのではないでしょうか。また、争い、ねたみ、憤り、党派心、そしり、陰口、高ぶり、騒動があるのではないでしょうか。
21 (…中略…)そして私は、前から罪を犯していて、その行なった汚れと不品行と好色を悔い改めない多くの人たちのために、嘆くようなことにはならないでしょうか。
神様が求めておられるのはお金ではなく、僕らの成長です。キリストは僕らが赦されきよめられて成長するために、全てを捨てて愛してくださいました。ご自分のいのちさえもです。
(1ヨハネ 3:16)
キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。
キリストは僕らのために全てを捨ててくださいます。僕らをいのちがけで今日も愛し成長させてくださいます。主は喜んで全てを使い果たしてくださいます。そして、僕らもキリストのために、そして兄弟のために自分の財産や立場や時間を使い果たすように変えられます。今日もキリストは僕らの全てを求め喜んでおられます。僕らの時間もお金も力も全部、神様のものです。神様のために手放し使いきるほどに、僕らの喜びは増えていきます。財産を使い果たして貧しくなる人はいなくて、逆に神様からいただく恵みは増えていきます。主は素晴らしいです!
(2コリント 9:7-8)
神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。
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