神様の預言者サムエルは子どもの時から祭司エリの家に預けられて育ちましたが、そこは罪の巣窟のような家でした。罪は神様よりも自分の快楽や損得を優先します。神様に選ばれたはずの祭司エリと子どもたちは人々がささげた肉を奪って食い、さらに奉仕する女性たちと寝ていました。(22節)礼拝は形ばかりで完全に神様を忘れ、主を恐ることを教えられてもいない悲惨な様子が書かれています。
(12節)
さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、主を知らなかった。
祭司である彼らが「主を知らない」と書かれています。今でいうなら神様を信じていない人が牧師をしているようなものです。意味がないしむしろ有害です。人々が神様に捧げるものは自分のものだと思っていました。
(14節)
これを大鍋や、釜、大釜、鍋に突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。このようなことが、シロで、そこに来るイスラエルのすべての人に対してなされていた。
旧約聖書のレビ記にはささげ物の手順が神様から示されています。が、そんなのは無視です。彼らにとって神様などどうでもいいし、教えてもらっていないことでした。
(15-16節)
そのうえ、脂肪が焼かれる前に祭司の子弟がやって来て、いけにえを献げる人に「祭司に焼くための肉を渡しなさい。祭司は煮た肉をあなたから受け取らない。生の肉だけだ」と言うので、(…中略…)祭司の子弟は、「いや、今渡すのだ。でなければ、私は力ずくで取る」と言った
神様はこの責任を父親の祭司エリにも問うています。父親も子どもたちに主を恐れることを教えなかったようです。
(29-30節)
なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。
30それゆえ──イスラエルの神、主のことば──あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今や──主のことば──それは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。
子どもだった預言者サムエルはこの劣悪な環境の中で育ちました。それでも、サムエルはただ神様だけを見上げる子どもとして育ちました。
お母さんハンナの祈りは聞かれ、神様が守ってくださる時には環境の悪さは障害にもならず、サムエルは守られいつくしまれて育ちます。
(26節)
一方、少年サムエルは、主にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。
神様はエリの家を祭司家系から断ち切り衰退させると言われました。が、その中で忠実なサムエルだけが残されます。
(31-35節)
見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはあなたの腕と、あなたの父の家の腕を切り落とす。あなたの家には年長者がいなくなる。32イスラエルが幸せにされるどんなときにも、あなたはわたしの住まいの衰退を見るようになる。あなたの家には、いつまでも、年長者がいない。33わたしは、あなたのために、わたしの祭壇から一人の人(サムエルのこと)を断ち切らないでおく。(…中略…)35わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司(サムエルのこと)を、わたしのために起こし、彼のために確かな家を建てよう。彼は、わたしに油注がれた者の前をいつまでも歩む。
子どもたちに主を恐れ重んじることを教えるのは親の責任です。どんなに能力があっても主を恐れることを知らなければ意味がありません。「わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられる」(30節)と主が今日も言われます。主を恐れ、主を第一に求めることはどんなことよりも価値があります。たとえ大金持ちになっても、神様の祝福と永遠の命を失ったら何も意味がありません。
(マタイ 16:26-27)
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。
僕らが地上の損得や快楽を求める虚しい人生でなく、神様を重んじる永遠の祝福と命の中を歩むことができますように。
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