今日の箇所は神様とお会いする聖所をどのように作ったかを書いています。出エジプト26章で神様が「このように作りなさい」とおっしゃった、その通りに誠実に正確に作ったことが良くわかる箇所です。
例えば、26章の命令は「この幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作る。」です。
それに対して36章20節では「幕屋のために、アカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作った。」
誠実に、神様のことばをなぞるように一つ一つの工程をして行ったことが書かれています。
26章では「一枚の板は、長さ十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。17板一枚ごとに、はめ込みのほぞを二つ作り、幕屋のすべての板にそのようにする。」
36章21-22節では「一枚の板は、長さ十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半。22板一枚ごとに、はめ込みのほぞを二つ作り、幕屋のすべての板にそのようにした。」
この後も神様が「◯◯のようにする(しなさい)」とおしゃったことを「◯◯のようにした」と丁寧な報告が続きます。
(26.18)幕屋のために板を作る。南側に二十枚。→(36.23)こうして幕屋のために板を作った。南側に二十枚。
(26.19)その二十枚の板の下に銀の台座を四十個作る。→(36.24)その二十枚の板の下に銀の台座を四十個作った。
丁寧な、しかも一つもいい加減にすることなく、省略することなく報告が続きます。
(26.31)また、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、垂れ幕を作る。→(36.35)また、青、紫、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用いて、垂れ幕を作った。
(26.31後半)これに意匠を凝らしてケルビムを織り出す。→(36.35後半)これに意匠を凝らしてケルビムを織り出した。
神様の家を作るのに、「まあテキトーでいいか」とか、面倒だから省略しよう、ということはありません。神様の願いの通りに、正確に、喜んで誠実に行って行ったことがわかります。僕らも聖霊に満たされ、神様のことばを聞いて行く時に、人生の全ての領域で手抜きとか省略は消えていきます。僕自身もまだまだ恥ずかしいくらいに手を抜き、愛することを怠け、みことばを実践することが足りない者です。でも、僕ら一人一人の体が神様の聖なる宮そのものだし、クリスチャン同士が互いに相手を建て上げて行くことが現代における幕屋の製作です。それはみことばと御霊によって、感謝と喜びと愛の中で、誠実に、正確になされる作業です。
生活の中でみことばを省略したり、無視したり、従うことを手抜きしたりする領域はあるでしょうか。自分に聞いてみましょう。僕らの全てがキリストの体の一部として御心を地上で行うための預かり物です。今日もみことばに対して誠実でありますように。今日も聞いたみことばに対して、一つ一つ丁寧に神様に答え、実行ていく喜びの日でありますように。
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