2023年2月6日月曜日

出エジプト38章

 創世記を読むと、人間と神様が親しく交わりそこには何の邪魔もバリヤもなかったことがわかります。それが神様が願っておられる世界です神様は人間と共に住み、共に歩むことを願っておられます。ところが、人間は神様から離れ、神様とお会いするためには通らなければならない手順や場所が必要になりました。あの分厚い聖書の中で、神様と人間が出会う場所を作るように細かく指示されているのはこの出エジプトの25章以降だけです。そしてこの細かい記述は天国の模型(写し)であり、イエス様によって神様に近づくことができる今の時代の比喩だと聖書は言います。(ヘブル8.5、9.9)

神様はその聖所に「祭壇」を作るように命令されました。祭壇とは動物を殺して焼く巨大なBBQコンロのようなものです

ベツァルエルたちはその通りに作りました。


(1節)

また彼は、アカシヤ材で全焼のささげ物の祭壇を造った。長さ五キュビト(約2.5メートル)、幅五キュビト(約2.5メートル)の正方形で、高さは三キュビト(約1.5メートル)であった。


聖所の入り口を入るとまず、この祭壇があります。これは、罪人が連れて来た犠牲の生贄の動物を殺し祭壇にのせて焼くためのものです。生贄にはいくつか種類がありますが、主に罪のための身代わりの犠牲、そして、神様への完全な献身、という2つの生贄の種類があります。

礼拝する人は、入り口でまず、この犠牲を捧げ、完全に赦された者として神様に受け入れられます。この祭壇が入り口の一番近くにあることは、人間はまず生贄によって赦されなければ神様に受け入れられないことを教えています。この祭壇はイエス様が僕らの身代わりの生贄となってくださったことを現しています。僕らが神様に受け入れられるのタダではありません。

僕らは気軽に「神様ー!」と言って近づきますが、聖書は聖なる神様が僕らを受け入れられるために多くの血が流され、命が捧げられて来たこと、そして、神様のみ子がご自分を犠牲にして僕らを受け入れてくださっていることの大きすぎる愛、そして聖すぎる愛を伝えています。


神様と人間が出会う場所は高さ約2メートルの幕で覆われ、外から中の様子は見えないし、また決まった入り口、そして決まった手順でないと近づくことができません。神様はその庭(神様の領域)を区別する幕を作り、奥行き約50メートル、幅約25メートルの庭を区別するようにと言われ、彼らはその通りに作ります。


(9-12節)

9彼はまた、庭を造った。南側では、庭の掛け幕は撚り糸で織った百キュビトの亜麻布でできていた。10柱は二十本、その台座は二十個で青銅、柱の鉤と頭つなぎは銀であった。11北側も百キュビトで、柱は二十本、台座は二十個で青銅、その柱の鉤と頭つなぎは銀であった。12西側には五十キュビトの掛け幕があり、柱は十本、その台座は十個、その柱の鉤と頭つなぎは銀であった。


この幕の内側を「庭」あるいは「大庭」と言います。後にこの幕屋が元になって神殿が作られますが、その区域を大庭と呼びます。ここは神様に受け入れられ、赦され、交わることができる領域です。なので、外界からは幕で区別されています。神様に招かれ、受け入れられていることは僕らがどんなに好きな人やスターや偉い人と交わるよりも嬉しく光栄で価値のあることだし、最高の祝福です。聖書はこの庭に入ることが嬉しくて仕方がない、という祈りや賛美が沢山書かれています。


(詩篇65:4)

幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。

(詩篇84:2)

私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです

(詩篇84:10)

まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。


入り口からこの庭に入るとまず祭壇があります。次に、神様は「洗盤」を作るように言われ、彼らはその通りに作りました。


(8節)

また、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入り口で務めをした女たちの鏡で、それを作った。


この材料は「女たちの鏡」でした。当時の鏡は今のようなガラスではなく、青銅を磨いてツルツルにしたものが鏡でした。女性にとって大切なその貴重品を神様のために材料として捧げられたことがわかります。ここで祭司は体を洗って奉仕をしたようです

入り口から順番に書くと、祭壇(犠牲による罪の赦し)→洗盤(洗われてきよくされること)と、神様と近づくほどに人間がきよくされて行くことがわかります。


この幕屋を神様が作るように命令した意図は神様が人々の中に住むためであり、彼らと会いたい、話したい、交わりたい、という神様の側の願いですその聖なる場所を神様が緻密に設計してくださり、人々はその通りに材料を捧げて、作り上げました。その材料も、能力も全て与えてくださったのは神様ですですが、一人一人が神様にささげ物をして、その材料でできたことも書かれています。神様の願いは、僕らがそれに答えて行動するときに実現します。全自動やロボットではありません。


(24-27節)

24聖所の設営のすべてにおいて、その仕事のために用いられた金、すなわち奉献物の金の総計は、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。25登録された会衆による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。26二十歳以上で登録された者が全部で六十万三千五百五十人だったので、これは一人当たり一ベカ、聖所のシェケルで半シェケルである。27聖所の台座と垂れ幕の台座を鋳造するのに用いた銀は百タラントで、百個の台座に百タラント用いた。一タラントで一個の台座である。


今日も神様は僕らと交わり、僕らと一緒に住むことを願い喜んでおられます。僕らにとっても神様と一緒にいることは最高です神様の大庭にいる一日は千日にまさります。(詩篇84.10)罪だらけ欠点だらけの僕らが招かれています。そのままでは交わないはずなのに、神様はあらゆる方法を尽くして僕らと一緒に住む場所を作ってくださいました。そして、今、イエス様の十字架の犠牲によって神様と親しく交わることができるようになり、しかも、毎日少しずつきよめてくださり、ふさわしくなるように成長させてくださっています。

当時の幕屋に庭があったように、神様の領域には区別があり境界線があります。その内側に招かれ、永遠に神様と共に生きる僕らです僕らが思う以上にすごい身分にされています。この世から選ばれ、すごい場所に招かれています。その特権は僕らが思う以上にすごいことです。幕屋の記述は、それが当たり前ではないことをなんとか僕らにわからせようと伝えています。僕らに与えられた身分を、ますます神様に感謝しましょう。すごい交わりに招かれています!ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿