25章以降に神様が丁寧に幕屋の設計を命令されました。そして、32章以降その通りに丁寧に作ったことが記録されています。僕らはこれらの記述の繰り返しを「丁寧すぎる…」と思って戸惑います。しかし、これだけ丁寧に書かれていることには意味があります。
神様が人々の中に一緒に住むために作る「幕屋」は新約聖書によれば2つのものを現しています。1つは天国の模型(写し)です。そしてもう一つは今の時代(イエス様によって神様に近づくことができる時代)を表すための比喩です。
(ヘブル8.5)
この祭司たちは、天にあるものの写しと影に仕えています。それは、モーセが幕屋を設営しようとしたときに、御告げを受けたとおりのものです。
(ヘブル9.9)
この幕屋は今の時を示す比喩です。
神様はこの2つの目的で幕屋を作るように言われ、聖霊を受けたベツァルエルは神様のみことば通りの幕屋とその中にある備品を作りました。彼は「契約の箱」を神様の設計通り(25章の通り)に作りました。
(1-4節)
1ベツァルエルは、アカシヤ材で、長さ二100キュビト半、幅一キュビト半、高さ一キュビト半の箱を作り、2その内側と外側に純金をかぶせ、その周りに金の飾り縁を作った。3箱のために金の環を四つ鋳造し、その四隅の基部に取り付けた。一方の側に二つの環を、もう一方の側にもう二つの環を取り付けた。4また、アカシヤ材で棒を作り、それに金をかぶせ、5箱を担ぐために、その棒を箱の両側の環に通した。
神様とお会いする幕屋の一番奥にあるものは「契約の箱」です。神様は霊なので偶像のような姿はなく、(形にしてはならないと言われています。)そこにあるものは箱の中に納められた契約と律法が書かれた石版です。(ヘブル9.4)その神様のことばは聖なる聖なるものであり、「ことば」が神様の臨在を現します。そして、当時のイスラエル人がどこに移動してもこの箱を先頭に移動します。そのための担ぎの棒をつけています。これは現代の僕らにとっても同じです。神様は見えない方です。でも、神様は「ことば」でご自身を現してくださっています。僕らがどこに行っても神様は「ことば」で導いてくださいます。聖書は聖霊によって与えられた神様のことばです。(2テモテ3.16)また、律法は当時の人々は(もちろん現代の僕らも)守ることができない聖いことばです。また、その聖なることばに触れる人は殺されます。
だから神様はその箱の上に「なだめの蓋」を作るようにと言われました。いろんな訳がありますが「贖罪蓋」とか「憐れみの蓋」「恵みの蓋」とも訳されます。聖なる契約の律法に触れると殺されてしまう僕ら人間を赦し、憐れみ、神の怒りをなだめていただくための蓋です。
(6-7節)
6さらに、純金で「宥めの蓋」を作った。その長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。7また、二つの金のケルビムを作った。槌で打って、「宥めの蓋」の両端に作った。
人間が触れるなら殺されてしまう神様の聖なることばと、それでいて人間を赦し受け入れたいと思ってくださる愛が両立しているのがこの聖なる箱となだめの蓋です。この蓋は年に一度犠牲の動物の血が振りかけられ、その犠牲によって神様の怒りはなだめられました。
最初に書いた通り、これらの意味は天国の模型(写し)です。そしてもう一つの意味は今の時代(イエス様によって神様に近づくことができる時代)を表すための比喩です。神様が聖なる聖なる方であり、その方に触れるなら殺されてしまうほどであることは変わりません。しかし、神様の怒りはイエス様の十字架の処刑によってなだめられました。今、僕らはキリストの十字架を通して赦され、罪は思い出されず、裁かれずに神様に近づくことができます。これが「新しい契約」です。僕らの体が神様の住まいとなり、僕らの心には神様の律法が直接書かれました。
(ヘブル8.10-12)
10 これらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(…中略…)12 わたしが彼らの不義にあわれみをかけ、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」
この幕屋には神様との交わりの食卓をあらわす机(パンやワインを供えます)を作ります。これも神様が僕らを今も将来も祝宴に招いてくださることの比喩です。
(10-16節)
彼はアカシヤ材で机を作った。その長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半であった。(…中略…)
16また、机の上の備品、すなわち、注ぎのささげ物を注ぐための皿、ひしゃく、水差し、瓶を純金で作った。
燭台はこの幕屋の中の光です。この燭台もまた、イエス様が世の光であり、イエス様に繋がるクリスチャンもイエス様の光を表す「世界の光」(マタイ5.14)であり、また教会がその光を表す燭台であることの比喩です。(黙示録1:20)
(17-22節)
また彼は燭台を純金で作った。その燭台は槌で打って作った。それには、台座と支柱と、がくと節と花弁があった。(…中略…)22それらの節と枝は燭台と一体で、その全体は一つの純金を打って作られていた。
そして香の祭壇は神様への祈りを現しています。
(25節)
彼はアカシヤ材で香の祭壇を作った。長さ一キュビト、幅一キュビトの正方形で、高さは二キュビトであった。祭壇から角が出ているようにした。
(黙示録5.8)
この香は聖徒たちの祈りである。
これらの幕屋の備品は全て移動式です。全ての用具が移動できるように担ぎ棒が取り付けられています。彼らがどこに移動してもそこに神様の聖なることばがあり、赦しがあり、神様との交わりがあり、光があり、祈りがあることを現しています。そして、これは僕らの人生にも適用できます。どこに行ってもみことばが中心であり、十字架による赦しがあり、イエス様の光があり、祈りがあります。
僕らはこれらの記述の繰り返しを「丁寧すぎる…細かすぎる…」と思って戸惑います。しかし、これだけ丁寧に神様が僕らに天国の確かさと、そして今神様が共にいて住んでくださることの大きさを教えてくださっています。
(ヘブル9.9)
この幕屋は今の時を示す比喩です。
聖なる神様が、キリストによって僕らと一緒に住んでおられます。神様と一緒に生きることはどんなことよりも価値があります。主は素晴らしいです!
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