神様が作るように命令された幕屋は神様がイスラエルの人々の中に住みたい、共に歩みたい、語りたい、という意図から作るように命令された物です。それは天の国の模型(写し)であり、イエス様によって赦されきよめられて神様と交わることができる恵みを現しています。(ヘブル8.5,9.9-12)神様が住んでくださり、交わってくださる唯一の場所だった幕屋は、100パーセント神様のものです。全ては神様専用です。幕屋も、その中にある全ての用具もです。「神様専用のものになる」ことを「聖別」と言います。神様は全てに油を注いで聖別しました。
(40.9-11)
あなたは注ぎの油を取って、幕屋とその中にあるすべてのものの油注ぎを行い、それと、そのすべての用具を聖別する。それは聖なるものとなる。10全焼のささげ物の祭壇とそのすべての用具の油注ぎを行い、その祭壇を聖別する。祭壇は最も聖なるものとなる。11洗盤とその台の油注ぎを行い、これを聖別する。
そそがれた油は神様のために聖別する油として特別に調合されました。この油も神様が特別に与えてくださっものです。(出エジプト30.22-32)
さらに、大祭司アロンとその子どもたちも神様専用の奉仕者としてこの油が注がれて聖別されました。
(12-15節)
12また、あなたはアロンとその子らを会見の天幕の入り口に近づかせ、水で洗い、13アロンに聖なる装束を着せ、油注ぎを行って彼を聖別し、祭司としてわたしに仕えさせる。14また彼の子らを近づかせ、これに長服を着せる。15彼らの父に油注ぎをしたように、彼らにも油注ぎをし、祭司としてわたしに仕えさせる。彼らが油注がれることは、彼らの代々にわたる永遠の祭司職のためである。」
神様と交わる場所である幕屋は全て聖別(神様専用)とされました。また、そこで奉仕する祭司であるアロンもその子どもたちも聖別されました。
新約聖書は、僕らクリスチャンの体も人生も全てが聖別されているといいます。僕らのこの肉体は神様専用とされています。自覚がある人も曖昧な人もいますが、イエス様を信じた人の体も人生も時間も所有物も全て神様のものだと聖書はいいます。
(1コリント 6:19)
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
(使徒 2:44-45)
信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
僕らは聖なるものと、俗なるものを分けたがります。クリスチャンっぽい自分と俗っぽい自分を分けたがりますが、神様の目にはその区別はありません。僕らは24時間365日、神様専用の体であり、神様専用の人生とされています。もちろん教会はキリストの宮であり100パーセント神様に聖別されています。ですが、現実の僕らの生活も教会もその自覚があまりなく、神様にふさわしくない現実もあります。それでも聖書は「聖なるものとされた方々」といい続けます。例えばコリントにあった当時のキリスト教会は分裂分派、派閥争い、高ぶり、性的な罪が広がっていてぐちゃぐちゃな教会です。秩序もなく聖餐式で酔っ払っている人さえいたようです。それでも、聖書はコリント教会を「神の教会」「聖なるものとされた方々」と呼びます。
(1コリント 1:2)
コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。
僕らは聖別された人です。聖なるものとされた人です。現実はぐちゃぐちゃでも、神様の目には100パーセント神様のものとなった聖なる人です。あとは、それを自覚して聖なる人らしく変えられていくだけです。時間はかかりますが、神様の人となったので、そのように変えられて行きます。
(エペソ 5:3-4)
あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。
僕らが聖別された(神様専用になった)ことは決定事項です。そして、それを理解するほどに、時間の使い方も、からだの使い方も、お金の使い方も、力の使い方も、神様のものとして捧げていく人になっていきます。
(ローマ 6:13)
また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
今日も明日も僕らの所有者は神様です。聖別されちゃいました。小さい頭で自分の思い通りに意地をはるより、神様にささげていく方がいいに決まっています。ささげましょう。
(ローマ12.1-2)
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。2この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
0 件のコメント:
コメントを投稿