2023年2月6日月曜日

出エジプト40.16-38

 お祈りするとき、本音は「僕の思い通りになりますように」とか、「私の夢が叶いますように」かもしれません。もちろんそのような祈りを主は聞いてくださいます。子どものようなウラオモテのない本音の祈りは主に喜ばれます。でも、僕らの夢や願いよりも神様の願いの方が圧倒的に正しく、大きく、良いものです。しかも、それは僕ら人間への愛と祝福に満ちたものです。しかも、それは実現します。神様の願いの一つは「あなたがたの中に住み、語り、交わりたい」というものです。これが実現した時に、僕らの小さな願いは全て満たされます。これは創世記から出エジプト記全体を通して流れるメッセージです


イエス様は「みこころ(神様の願い)が天で行われるように、地でも行われますように」と祈りなさいとおっしゃいました。(マタイ6章、主の祈り)その神様の願いが実現する方法があります。それは「僕らが主の命令に従う」方法です神様は無理やりやらせようとか、縛ろうとしているのではなく、素晴らしすぎる天の栄光と祝福を地上でも与えたいと願っておられます。その一つが出エジプトの時代の、神様とお会いするための「幕屋」を作ることですモーセは全てにおいて神様に言われた通りに忠実に作りました。


(16節)

16モーセは、すべて主が彼に命じられたとおりに行い、そのようにした。


このフレーズ「命じられた通りに…」は何度も何度も繰り返されます。神様の栄光と神様の願いは人間がみことばに従う時に実現します。僕ら人間は本来神様の同労者であり、パートナーでもあり、一体でもあります。モーセはそのように自分の役目を自覚し、全てに忠実でした。


(18-19節)

…その柱を立て、幕屋の上に天幕を広げ、その上に天幕の覆いを掛けた。主がモーセに命じられたとおりである。


(21節)

箱を幕屋の中に入れ、仕切りの垂れ幕を掛け、あかしの箱の前をさえぎった。主がモーセに命じられたとおりである。


(22-23節)

…机を置いた。その上にパンを一列にして、主の前に並べた。主がモーセに命じられたとおりである。


(25節)

主の前にともしび皿を掲げた。主がモーセに命じられたとおりである。


(26-27節)

…金の祭壇を置き、その上で香り高い香をたいた。主がモーセに命じられたとおりである。


(29節)

…ささげ物の祭壇を置き、その上に全焼のささげ物と穀物のささげ物を献げた。主がモーセに命じられたとおりである。


(30-32節)

洗盤を置き、洗いのために、それに水を入れた。モーセとアロンとその子らは、それで手と足を洗った。(…中略…)主がモーセに命じられたとおりである。


モーセが神様に忠実に従った結果、天の栄光が地上でも満ち溢れ、圧倒されて近づけないレベルでした。


(34-35節)

そのとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。


神様の圧倒的な存在、臨在、その栄光に触れるなら、僕らが思っていた小さな願いや夢はかすんで行きます。この世で上手く行こうとか、成功しようとか、愛されようとか、認められようとか、そのような飢え渇きは全て神様との圧倒的な交わりの中で満たされてしまい、もはや必要なくなります。


イスラエル人たちは食べ物も飲み物もない荒野で40年間旅をしました。なぜそれが可能だったかというと、圧倒的な神様の臨在が中心にあったからです神様ご自身がパンを降らせ、水を与え、肉を食べさせ続けてくださいました。彼らの宿営の真ん中にはいつもこの幕屋があり、そこに神様の臨在を表す雲の柱と火の柱がいつも見えました。

この旅を導くのは、神様ご自身でした。


(36-38節)

イスラエルの子らは、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。37雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった。38旅路にある間、イスラエルの全家の前には、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があった。


これは、今日も同じです

神様のことばに従うことは圧倒的な神様の栄光と恵みと祝福を体験し続けることになります。そこには何の不足もありません。この当時「雲が上らないと、上る日まで旅立たなかった。」とあるように、僕らは進むことだけでなく、とどまり続けることも必要です。僕らでなく、神様のみ心は完璧です。今日も、僕らがみことばに聞き、従い、主の圧倒的な臨在と恵みと祝福を体験する日でありますように。ハレルヤ!

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