祈りのスタイルは自由だし、祈りの内容も自由です。ですが、「ああしてください」「こうしてください」よりも「神様はこのような方です、」「神様はこういうところが素晴らしいです」という祈りは僕らがどんなに問題の渦中にいても平安と喜びへと成長させてくださいます。
僕らが信じている神様は宇宙を造り世界を造り、今日も歴史を支配している方です。その方が僕らのお父さんであり、僕らのことを愛する子と呼んでくださり、妻と呼び、親友と呼び、また、木と枝、体と器官などなど、僕らのことを愛するだけでなく一体であることが聖書の至るところに書かれています。そのように神様が愛している大事な人に敵対する人がいるならば、その人は自爆行為です。神様に勝てるはずがありません。
ダビデは神様に愛され守られ、何をするにも成功しました。神様には愛されましたが自分の上司であるサウル王からの妬みを激しく受け続け、理由もなく命を狙われる生活を十年以上強いられた人です。理由もなく命を狙われ続けるその苦しみの時にこの詩篇を書きました。彼はやっぱり「救ってください」と祈るし、助けてください、と祈ります。当然です。
(表題)
ダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに。
ダビデは理由もなく苦しめられ、脅されていることを神様に訴えます。
(1-5節)
1私の神よ 私を敵から救い出してください。 向かい立つ者たちよりも高く 私を引き上げてください。2不法を行う者どもから 私を救い出してください。 人の血を流す者どもから 私を救ってください。3今しも 彼らは 私のたましいを待ち伏せし 力ある者どもは 私に襲いかかろうとしています。主よ それは私の背きのゆえでもなく 私の罪のゆえでもありません。4私には咎がないのに 彼らは走り 身構えています。 どうか目を覚まし ここに来て 見てください。5あなたは万軍の神 主 イスラエルの神。 どうか目を覚まし すべての国を罰してください。 邪悪な裏切り者を だれもあわれまないでください。
最初から、敵は勝てるはずがありません。なぜなら神様は宇宙を支配する権威があり、その神様がダビデの味方だからです。人は恐れますが、神様には一切の恐れはありません。神様が自分を愛し守り抜いてくださることを確信した人は恐れが消え去ります。
(8-10節)
8しかし主よ あなたは彼らを笑い すべての国々を嘲られます。9私の力よ 私はあなたを見続けます。 神が私の砦だからです。10私の恵みの神は 私を迎えに来てくださる。 神は 私に敵を平然と眺めるようにしてくださる。
神様の偉大さを思い巡らすほどに、敵の脅しが小さく見えます。どんなに怖かった敵であっても神様の前にはチリのような小さな存在です。それを思うほどに「神は 私に敵を平然と眺めるように」してくださいます。(10節)
僕らがプレッシャーを感じすぎたり、恐れすぎたりする理由は、神様の偉大さを考える反芻するよりも、敵の怖さを繰り返し見続けるからです。神様を見上げれば平安です。敵を見えば不安です。僕らが何を見、何を心に置くかで状況が同じでも希望になったり恐れになったりします。ダビデは言いました。「私はあなたを見続けます。 神が私の砦だからです。」(10)
神様の大きさや愛を考えていると、感謝してそれを話していると、僕らが恐れていたことは神様にとっては恐れでも不安でもないことを知っていきます。こんなに問題だらけだったのに、ダビデは「歌う」と言います。
(16-17節)
16しかし この私はあなたの力を歌います。 朝明けには あなたの恵みを喜び歌います。 私の苦しみの日に あなたが私の砦 また 私の逃れ場であられたからです。17私の力よ 私はあなたにほめ歌を歌います。神は私の砦 私の恵みの神であるからです。
しなければならないことや、不安なことは毎日たくさんあると思います。
でも、一旦それを脇に置いて神様の大きさだけを祈ってみましょう。神様の愛の大きさだけを思い出して祈ってみましょう。僕らは小さくても、僕らを愛し守ってくださる神様は大きすぎます。そのように賛美し感謝し続けることに、問題は問題でなくなり、敵はちっぽけになっていきます。まさに「神は 私に敵を平然と眺めるように」してくださいます。(10節)
今日も僕らが目先の課題に振り回されず、ただ、神様の前に礼拝して、神様の偉大さを口ずさみ、賛美する者でありますように。宇宙と歴史を支配している力ある神様が僕らの夫であり父であり、僕らは一体とされています。大丈夫です。僕らは弱くても、神様には何の問題もありません。感謝しましょう。思い巡らしましょう。主は良い方です。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿